佐賀市重要文化財の紹介です

涅槃図

多くの人物と動物が森の中で横たわる中央人物を囲み天上の雲間にも姿が描かれた細密な場面を収めた絵画

所在地/佐賀市諸富町大字徳富1936番地(東光寺)

指定年月日/昭和57年4月1日

涅槃図とは釈迦の臨終の情景を描いたもので、陰暦二月十五日に釈迦の入滅を追悼して行う涅槃会に、この涅槃図を掲げて法会をおこないます。この涅槃図の中央に横臥する釈迦を囲んで、多くの人々が嘆き悲しみ、また、鳥獣までもが悲しみの姿態で描かれています。上部には釈迦の入滅を聞いて、母の摩耶夫人が天界から降臨してきた姿も見られます。大きさは、横136センチメートル、縦202センチメートルを測り、奉納は明治七年、画工は平渕子璨と記されています。

肥前鳥居

苔むした石造の鳥居に太い注連縄や垂れ飾りが掛けられ、奥には紺色の幕を張った社殿が参道越しにまっすぐ望まれる肥前鳥居の写真

所在地:諸富町大字為重1073番地新北神社参道

慶長13年(1608年)築造、鍋島直茂の寄進

高さ3.8メートル

肥前鳥居

苔むした古い石造鳥居が立ち、周囲の木立や駐車された車と説明板が背景に重なって静かな境内入口の佇まいを示す写真

所在地:諸富町大字徳富1201番地若宮神社境内

高さ211センチメートル、銘文不明

肥前狛犬

砂地に置かれた角ばった二段の台座上に苔むして風化の進んだ小さな石像が腰を下ろすように佇み、欠損や摩耗で丸みを帯びた造形やざらついた表面の質感が静かに際立つ写真

所在地/佐賀市諸富町大字大堂1663番地(太田神社境内)

指定年月日/昭和57年4月1日

肥前狛犬は江戸時代前半に佐賀地方を中心として製作された石造の狛犬です。肥前狛犬の一般的な特徴は小形でその姿態は極めて静的で細部の表現は省略され、彫法は簡潔で素なことなどが挙げられます。この神社の肥前狛犬は、阿像が像高57センチメートル、吽像が像高50センチメートルを測り、双方とも二段からなる台座上に据えられています。この像も江戸前半期の所産と推定されています。

大黒天像

茂った緑に囲まれた苔むした石像が丸みある重厚な形状で静かに佇み、風化の模様が独特の質感を際立たせている写真

所在地/佐賀市諸富町大字大堂1363番地(寶光院内)

指定年月日/昭和57年4月1日

大黒天はインドや中国では寺院守護神や五穀豊穣の神として崇められていました。わが国に伝えられてからは、大国主神と結びつき、江戸時代には七福神のひとつに数えられました。寶光院境内の大黒天像は左肩に大きな袋を背負い、右手に打ち出の小槌を持ち米俵の上に立つ一般的な像容です。像高78センチメートル、台座高32センチメートルを測り、台座の銘文から天保4年(1833年)に寶光院の住職により造立されたことがわかります。

道祖神「なんじゃもんじゃさん」

墓地の中央に並ぶ風化した二体の石像が苔むした質感を見せつつ供えられた松や葉の緑に囲まれ静かに佇む写真

所在地/佐賀市諸富町大字為重1586番地のロ(安龍寺内)

指定年月日/昭和57年4月1日

この石像は一対の男女像として安龍寺の境内に祀られています。男形は通称「な(あ)んじゃもんじゃ」さんで銚子と杯を持っています。女形は通称「銭んがない」さんで、右手を上げ、左手は印らしきものを結んでいます。夫が「酒買うてこい」と言いますが、妻は左手の指で円をつくり「「銭んがない」と突っぱねていると地元では伝えられています。男形は像高71センチメートル、女形は像高72センチメートルを測ります。制作年代は江戸時代と推定されています。

銅造弁財天坐像

精巧な装飾をまとい蓮座に坐す多様な持物と背後の光背を備えた荘厳な仏像が細部まで重厚な造形美を示す写真

所在地/佐賀市諸富町大字為重1586番地のロ(安龍寺内)

指定年月日/昭和57年4月1日

安龍寺の弁財天坐像は頭部に穀物神でもある「宇賀神」と華表(鳥居)を置くことから日本で成立した「弁天五部経」という経典に説かれている八臂(八本の腕)の「宇賀弁天像」と見られますが、持物を見ると同じく八臂の弁財天を説く経典「金光明経」との混同がみられます。近世の地方の弁天信仰をうかがうことができます。

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