牛嶋口跡

所在地

佐賀市東佐賀町271番及び291番1から291番3まで並びに河川の一部

指定年月日

令和5年3月20日

概要

 江戸時代の佐賀城下には主に六箇所の入口(牛嶋口、八戸口、今宿町口、唐人町口、多布施町口、天祐寺町口)があり、木戸や番所を設けて通行人を監視していた。そのなかで、城下東に位置する牛嶋口は、牛嶋構口や慶長町口とも呼ばれ、城下の大手口として格式の高い入口のひとつとされていた。
 平成28年度の発掘調査で、絵図と合致する橋の土台が発見されたことで、番所の位置も特定でき、「牛嶋口」の位置が明確になった。さらに、橋土台に築かれた石垣は、「輪取り」や「シノギ角」など、城の石垣構築に通じる技術集団の係わりが推測されるもので、対外的に見せることも意識した造りであること、橋桁を支える「枕土台」を検出したことで、絵図や文献資料から、長さ20メートル、幅6メートル規模の太鼓橋であったと考えられること、街道は砂と粘土を何層にも突き固めて整地され、人や荷車などが通るため以外に、別の意図があったことが想像される強固な地行が行われていることなど、この場所に対する佐賀藩の強い意識がうかがわれる痕跡が明らかになった。
 明治時代以降、主要道路に架かる橋の多くは近代的な橋に架け替えられ、古い時代の痕跡は失われてきた。そのような中、牛嶋口の遺構が残されたのは、場所をかえて新たな橋が架けられ、その後も大きな開発の手が加えられなかったことが要因である。
 牛嶋口跡は、佐賀城下の入口を示す遺構が良好な状態で残り、今では失われた橋と街道遺構の構造が一体的に判る貴重な資料として全国的に見ても数少ない例である。さらに佐賀城下を形成するにあたり、歴史的、地理的に重要な場所として、佐賀市史跡に値する価値を有するものである。

明るいベージュ色の砂利が敷かれた敷地内に、石垣の土台と瓦屋根を備えた2枚の白い漆喰壁が並び、背後には大きな木や住宅街が広がる牛嶋口跡の入り口の写真

牛嶋口跡(牛嶋構口公園)

石垣で縁取られた緩やかな斜面に芝生や雑草が茂り、上部には黒い支柱の柵が設置され、下段の白いコンクリート壁との間に砂利道が通る整えられた屋外施設の境界付近の様子を写した写真

橋桁を支える「枕土台」の石垣

思案橋荷揚げ場跡

所在地

佐賀市柳町199番及び河川の一部

指定年月日

令和5年3月20日

概要

 江戸~明治期の物資運搬は、人力運搬や荷車・人力車による車運搬と共に、舟運が重要な手段で、思案橋界隈が物資の取り扱い場として栄えていたことが文献資料等からもわかる。発見された遺構は、そのことを具体的に裏付けるものであり、商業地として栄えた往時の重要な流通手段となっていた舟運に関連する遺構は、佐賀城下の歴史を知る上で貴重なものである。
 また、石垣護岸と雁木が一体となって状態よく残っており、佐賀城下では初めての発見である。石段の据え方などの構築技術を知る上で貴重であると同時に、長崎街道と紺屋川が交差する特徴的な景観を留める場所で、江戸時代から現代にいたる川幅や土地利用の変遷、それによる景観の移り変わりをたどることができる場所としても、佐賀市史跡に値する価値を有するものである。

砂利敷きの平坦な広場に長方形の大きな切り石がベンチのように並び、右奥には解説板が設置され、周囲を住宅に囲まれた広場の写真

思案橋荷揚げ場跡(柳町思案橋広場)

堅牢な石垣の上に組まれた平坦な広場から石段が下層の湿地帯へと続き、周囲には案内板や転落防止用の柵が整備された、歴史的な遺構の写真

石垣護岸と雁木

この記事に関するお問い合わせ先

地域共創部 文化財課 総務企画係
〒840-0811 佐賀市大財3丁目11番21号 大財別館2階
電話:0952-40-7369
ファックス:0952-26-7378
専用フォームで担当課にメールを送る