佐賀市重要文化財の紹介です。

旧古賀銀行

青い屋根と赤茶色のレンガ壁が特徴的な、白い石材の装飾が施されたレトロで重厚な外観を持つ二階建ての洋館を、電柱や黒い柵が並ぶ道路沿いから見上げた構図で捉えた旧古賀銀行の外観写真

所在地/佐賀市柳町(佐賀市歴史民俗館)

指定年月日/平成7年3月22日

両替商、古賀善平が明治18年(1885年)、現在地斜め向かいに設立した銀行で、明治39年(1906年)に現在地東寄りに本店が新築されました。当初は洋風を模した漆喰仕上げの外観でしたが、大正5年(1916年)に西側へ大きく増築され、木造ながら二つの塔屋を備えたタイル張りの外観と堂々とした吹き抜けを備えた今の姿が生まれました。佐賀市の建築家、舟木右馬之助の設計になり、佐賀市に残された数少ない本格的洋風建築として貴重な建物です。古賀銀行は九州の5大銀行の一つに数えられましたが、昭和8年(1933年)に解散に追い込まれました。建物はその後佐賀市商業会議所さらに佐賀県労働会館、自治労佐賀県本部として使われました。

旧古賀家

立派な瓦屋根と太い木製の柱が特徴的な日本家屋の玄関先を、手前に植えられた松の木や周囲の豊かな緑とともに捉えた旧古賀家の外観写真

所在地/佐賀市柳町(佐賀市歴史民俗館)
指定年月日/平成7年3月22日
旧古賀銀行の頭取、古賀善平の住居で、銀行本店の東隣にあります。古賀銀行開業に先立つ明治17年(1884年)、この住宅を建てたと伝えられます。周りに門と塀を巡らした白漆喰仕上げの近代和風住宅で、西隣の銀行本店と一体となって残される点に価値があります。黒漆喰仕上げの玄関や西側の煉瓦塀は大正期に改築されたようです。戦後は料亭として使われていました。

旧牛島家住宅

真っ白な漆喰の壁と重厚な瓦屋根を持つ土蔵造りの建物が道路沿いに並び、手前の駐車場には白い車が停まっている様子を捉えた写真

所在地/佐賀市柳町(佐賀市歴史民俗館)
指定年月日/平成7年10月23日
江戸期に町の咾(おとな)役を務めた足軽高楊伊助が問屋業を営んでいた建物で、佐賀市朝日町3番4号(旧下今宿町)にありました。建築年代は18世紀前期に遡ると考えられ、佐賀市で最も古い町家建築として貴重です。当初は、外観も土蔵造りではなく、座敷部分にも大きな土間を設けた建物でしたが、明治後期に今のような姿に整えられました。道路拡幅に伴って平成5年(1993年)に取り壊される予定でしたが、同様の町家がかつて建っていた現在地に移築再建されました。

石造十六羅漢像ならびに石造釈迦三尊像

緑に囲まれた屋外に、様々な表情やポーズをした数多くの石造りの仏像が、草木の間から顔を覗かせるようにして並んで安置されている様子の写真

所在地/佐賀市木原1丁目(岩松軒)
指定年月日/昭和48年2月11日
曹洞宗の岩松軒の境内に、石造十六羅漢像と石造釈迦三尊像が安置されています。羅漢像はすべて座像で、高さは50から80センチ、切石の台座に座っています。この群像は、その彫像技法からみて江戸時代の宝暦年間(1751年から1763年)前後の作であろうと推定されています。また、釈迦三尊像は高さ69から68センチです。十六羅漢像と釈迦三尊像を合わせて19からなる群像が一括して保存されている点はたいへん珍しいものです。駒形標柱は各尊像の名称や寄進者の名を刻んだもので11基が残存しています。

木造鍋島忠直坐像

木製の厨子の中に安置された、黒い束帯姿に冠を戴き、両手を膝の上で組んで座る、彩色が施された台座に乗った鍋島忠直坐像の木造彫刻を正面から捉えた写真

所在地/佐賀市本庄町大字本庄(高伝寺)
指定年月日/昭和48年2月11日
佐賀鍋島家菩提寺の高伝寺本堂に安置されている鍋島忠直像は、冠までの高さ50センチの坐像です。鍋島忠直は、2代藩主光茂の父で、寛永12年(1635年)23歳で世を去りました。忠直に仕えていた江副金兵衛は、高野山にこもって一心に主君の像を彫りました。そして、忠直の一周忌に光茂に像を贈り、追腹を切ったと伝えられています。江副金兵衛の殉死に直面した光茂は、深く考えさせられ、寛文元年(1661年)に追腹禁止令を発布。この追腹禁止令は、寛文3年(1663年)に幕府が発布した殉死禁止令のさきがけとして注目されています。

石造十一面観世音菩薩立像

薄い茶褐色の石を用い、頭に冠を載せ、左手に蓮華のような持ち物を添えて直立する古びた風合いの石造の菩薩立像を正面から捉えた写真

所在地/佐賀市久保泉町大字川久保
指定年月日/昭和49年2月11日
像高118センチ、宝冠のまわりに仏をいただく十一面観世音菩薩の立像です。天正13年(1585年)に彫像されたものです。右手は手のひらを前にして下げ、左手は曲げて胸の前で蓮華をにぎっています。両手、両足とも体に密着した浮き彫りで、少しきゅうくつな表現です。顔面が大きくて、下半身の表現はとても簡単です。これは、中世石造彫刻の様式をよくとどめています。

銅造地蔵菩薩立像

灰色の色調で、右手に錫杖を持ち、左手の掌を軽く上げた姿で蓮華座の上に直立する銅造地蔵菩薩立像を正面から捉えた写真

所在地/佐賀市多布施2丁目(西峰院地蔵寺)
指定年月日/昭和49年2月11日
浄土宗西峰院地蔵寺の地蔵堂内に安置されているこの尊像は、酒を買いに行ったという伝説があることから「酒買い地蔵」または「酒のみ地蔵」と呼ばれています。高さ36.5センチ、台座の高さ13センチの鎌倉時代の鋳造様式をもつ銅製ですが、台座の花の部分は木製の後補です。両腕を軽く曲げ、左手に宝珠、右手につえをにぎっています。いまなお酒を供えて安産などの祈願に来る人が多いとのことです。

木造了意和尚像

法衣を着用し、右手に払子を持ちながら椅子に腰掛けた木造了意和尚像を、左側に配置された小さな仏像とともに正面から捉えた写真

所在地/佐賀市本庄町本庄(静元寺)
指定年月日/平成5年3月31日
絶学了意和尚は、現在の佐賀郡富士町で山伏の子として生まれ、出家して川久保の曹洞宗松陰寺に入り、元禄9年(1696年)佐賀藩第3代藩主、鍋島綱茂の命令で高伝寺19世住職となりました。了意和尚は、葉隠の口述者、山本常朝との交流が深く、葉隠の成立に大きな影響をあたえたと考えられます。この像は了意和尚が死去した翌年の享保12年(1727年)に仏師法橘康伝の手により作られました。製作年代、作者ともに確定できる資料として貴重なもので、佐賀市本庄町の曹洞宗静元寺に安置されています。

この記事に関するお問い合わせ先

地域共創部 文化財課 総務企画係
〒840-0811 佐賀市大財3丁目11番21号 大財別館2階
電話:0952-40-7369
ファックス:0952-26-7378
専用フォームで担当課にメールを送る