佐賀市重要文化財の紹介です。

上和泉遺跡出土瓦塔

細かなひび割れがある四本の太い柱で支えられた頑丈な基壇と、その上に施された幾何学的な階段状の装飾が特徴的な、古代の建築様式を精緻に再現した土製の実用型仏塔の写真

所在地:佐賀市大和町久池井(肥前国庁跡資料館)

指定年月日:平成16年3月23日

瓦塔は、奈良平安時代を中心に造られた実用型仏塔の一種です。

瓦塔の九州内の出土例としては、福岡・熊本両県で数例を確認していますが、佐賀県内では初の出土例です。しかも、この瓦塔のように、初重軸部のみとはいえ、ほぼ完存しているものは九州内には他にありません。

旧佐賀城本丸御座間・堪忍所

瓦葺きの大きな入母屋屋根を持つ重厚な木造建築の前で、手入れの行き届いた立派な松の木や南国風のソテツが植えられ、白壁と黒い柱をもつ旧佐賀城本丸御座間・堪忍所の外観写真

所在地/佐賀市城内二丁目(本丸跡)

指定年月日/平成13年2月20日

「御座間(ござのま)」は、佐賀城の中の、藩主の日常の居間で、「堪忍所(かんにんどころ)」は、御座間の東側にあった警備の詰め所のようなところです。

明治42年(1909年)以降、赤松小学校の校舎の一部として使われましたが、後に水ヶ江に移築され、南水会館として使用されました。その後、佐賀城本丸歴史館の整備に伴い、佐賀城本丸跡の本来の位置に御座間・堪忍所として移築・復元されています。

藩主の日常生活の場という重要な機能を果たしたものであるにもかかわらず、比較的質素なたたずまいを有し、幕末・維新期の気風や社会的状況も伝えているところなど、佐賀市に残された幕末・維新期を代表する建築物として高く評価できます。

(写真は南水会館時代のものです)

神野のお茶屋

青空の下、手入れの行き届いた低い生垣の奥に、茅葺き屋根と瓦屋根が組み合わさった伝統的な日本家屋が二棟並び、その前方には形良く整えられた松や丸い低木が美しく配置された神野のお茶屋の外観写真

所在地/佐賀市神園4丁目(神野公園内)

指定年月日/昭和42年2月11日

佐賀藩10代藩主、鍋島直正が、弘化3年(1846年)に築いた別荘で、木造平屋の2棟を瓦葺の廊下でつないでいます。藩主の別荘としては粗末すぎると感じるほどの質素なものですが、構築は藩あげての総意で行われ、材木や庭石などは藩士が持ちよったものです。このお茶屋は大正12年(1923年)に直正の嫡子直映氏から佐賀市民のために佐賀市へ寄附され、現在神野公園として広く市民に親しまれています。

武家屋敷の門

重厚な瓦屋根を載せた木造の大きな門が中央に構え、その両脇から白壁と黒い木枠の塀が左右に延びる、武家屋敷の門を正面から捉えた写真

所在地/佐賀市中の小路

指定年月日/昭和46年2月11日

この武家屋敷の門は、現在佐賀地方検察庁の官舎の門となっています。門は三間一戸の平門で、4本の方柱で棟木を受け、本瓦葺となっています。中央は両開きの板戸で、左右の脇間は片開きのくぐり戸です。両側の破風に懸魚が用いられている以外は飾金具もなく、簡素なつくりですが、木組みは比較的大きくて安定しています。ただし、創建の年代は明らかではありません。

佐賀八幡宮石造肥前鳥居

重厚な石造りの鳥居が建ち、その奥へと続く参道の先に社殿が構え、背後には鮮やかな緑の葉を茂らせた大きな御神木がある佐賀八幡宮石造肥前鳥居を正面から捉えた写真

所在地/佐賀市白山1丁目(龍造寺八幡神社【通称:八幡神社】)

指定年月日/昭和47年2月11日

この鳥居は、慶長9年(1604年)佐賀藩祖、鍋島直茂の北方藤女の奉献によるもので、笠木の長さ4.80メートル、高さ3.40メートル。上部が細くなった石柱の下部は生け込みとなっていて、笠木は太い三本継の柱に対して薄く、島木と一体となりゆるやかに反っています。肥前鳥居の特徴は、島木と笠木が一体化し、笠木、島木、貫、柱が三本継ぎになっていることです。

御位牌所

寺院の内陣で、中央に鎮座する黄金の仏像と左右に並ぶ数多くの位牌が、赤い柱や黄色い御簾に彩られた荘厳な空間の中で祀られ、手前の供物台には白い香炉や花が添えられた御位牌所の写真

所在地/佐賀市本庄町大字本庄(高伝寺)

指定年月日/昭和49年2月11日

この御位牌所は明治29年(1896年)に建立され、外観は唐風な花頭窓と棧唐戸、そして向拝の屋根はギリシャ風の柱に支えられた破風づくりとなっています。御位牌所の中央には佐賀藩2代藩主鍋島光茂の寄進による阿弥陀如来像が安置され、その姿は像高1.45メートルの堂々たるものです。また、御位牌所の中には龍造寺、鍋島両家の202霊を祀る位牌があり、最大のものは高さ1.34メートル、その彫物や彩色などもたいへんすばらしいものです。

鐘楼

石造りの頑丈な基壇の上に、四本の太い木柱で支えられた切妻造りの瓦屋根が載り、その中央に大きな鋳鉄製の梵鐘が吊るされた鐘楼の写真

所在地/佐賀市伊勢町(真覚寺)

指定年月日/昭和50年2月11日

真覚寺は、永禄年間(1558年から1569年)に創建された浄土真宗の寺院で、鐘楼は元禄12年(1699年)に建立されたものです。本瓦ぶき、切妻づくりの重厚な屋根に対して、四本柱の架構は簡単すぎるように見えますが、上中下3段の貫で絞め固められた用材はすべてけやき材です。そのふんばった姿は、男性的な力強さを表現しているようにも思えます。時代とともに消えてゆく古建築の中で、約300年もの間、風雪にたえてきた貴重な鐘楼です。

武家屋敷の門

瓦屋根を戴いた重厚な木造の山門が中央に建ち、その左右に続く白壁の塀の手前には、丸く美しく刈り込まれた低い植栽が等間隔に並ぶ武家屋敷の門の写真

所在地/佐賀市水ヶ江2丁目

指定年月日/昭和54年3月1日

勝宿神社本殿

石造りの土台の上に建てられた、流造の屋根に唐破風の向拝が付いた重厚な木造の社殿があり、手前には石灯籠が置かれた勝宿神社本殿の外観写真

所在地/佐賀市久保泉町大字川久保(勝宿神社)

指定年月日/昭和52年2月11日

勝宿神社は佐賀市久保泉町川久保の北端にあって、川久保領主の神代勝利が祀られています。文政3年(1820年)神代直寶の父で鍋島家重臣の鍋島彈馬賢在がその祖勝利を祀るために創建しました。社殿は、本殿と拝殿から成り、用材はけやき主体に一部ひのきも使われています。

伊勢神社の石造肥前鳥居および肥前狛犬像

石畳の参道の入り口に建つ重厚な石造りの鳥居と、その奥に構える瓦屋根の大きな山門、さらにその先に見える社殿までが一直線に並んでいる石造肥前鳥居の外観写真

所在地/佐賀市伊勢町(伊勢神社)

指定年月日/昭和57年3月1日

石造肥前鳥居の特徴は、笠木、島木、貫、柱が2から3本の継材で形成されていて、笠木と島木が1本化し、木鼻は船底状の流線形になっていることです。さらに、柱の上端の笠木、島木には台輪が必ずつけられています。伊勢神社の鳥居は慶長12年(1607年)に造られました。石造肥前狛犬は小形で、その彫法も簡潔で素朴なものです。前面と側面を浅く彫り、全体は丸彫り的に調整され、背は半円形、アゴは角張って張り出し、口はアゴいっぱいに浅く刻まれています。寛文7年(1667年)に造られたこの狛犬は、市内で最古級の作として注目されます。

武家屋敷の門

道路に面して建つ、切妻造りの瓦屋根が載った重厚な木造の長屋門で、門扉の左側には格子窓が並び、右側には通用門と思われる小さな入り口が設けられた武家屋敷の門の外観写真

所在地/佐賀市八幡小路

指定年月日/昭和58年3月1日

この門はくぐり戸付き長屋門で、正面向かって左側に2階建ての番所があり、右側には駕籠を納める倉庫があります。門扉は両開き板唐戸で、屋根は本瓦入母屋づくり、外壁はしっくいぬり、腰は板張りで、番所の2階正面には出格子窓が設けられています。この門は昭和58年(1983年)3月15日豊増龍太氏より佐賀市に寄贈されたもので、昭和59年(1984年)3月に保存修理工事を実施しました。

木原隆忠の墓誌

茶色く古びた石板に古い漢字の碑文が縦書きで刻まれた、見開き型の本のような形状をしている墓誌の写真

所在地/佐賀市伊勢町(大覚寺)

指定年月日/平成5年3月31日

木原隆忠は文政11年(1821年)佐賀城下に生まれました。藩校弘道館を経て、江戸昌平黌(しょうへいこう)に学んだ後、弘道館の教諭をつとめ、戊辰の役では参謀として江戸に入り、会津戦争に参画しました。佐賀の役ではその戦後処理に尽くし、後には家塾を開いて子弟教育にあたるなど数々の功績を残しました。その徳を慕って117名の同志が「木原先生之墓」を建立しました。その時、彼の遺徳を箱状の石に刻み墓坑内に納めたものがこの墓誌です。

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