国史跡の紹介です。

東名遺跡

湿った黒土の中に、形がはっきりと残った白い二枚貝や巻貝の殻が無数に積み重なり、長い年月を経て形成された地層の断面が剥き出しになっている、縄文時代の食生活や環境が伝わる写真

所在地/佐賀市金立町大字千布

指定年月日/平成28年10月3日

東名遺跡は、今からおよそ8,000年前の縄文時代早期の遺跡で、国内最古の湿地性貝塚です。遺跡には居住域・墓地・貝塚・貯蔵穴がセットで残されており、縄文時代のムラ全体の様子が良くわかる国内でも数少ない例として貴重なものです。また、縄文海進の影響で、遺跡全体が厚い粘土層に覆われるなど保存条件にも恵まれ、国内最古級のさまざまな遺構・遺物が良好に残存しており、日本の生活文化の源流を考える上で極めて重要な遺跡です。

三重津海軍所跡

広大な発掘調査現場において、湿った粘土質の地面に縄文時代のものと思われる木柱や横木が複雑に組み合わされ、当時の高度な土木技術を物語るような大規模な遺構が剥き出しの状態で保存されている遺跡の写真

所在地/佐賀市諸富町、川副町

指定年月日/平成25年3月27日

三重津海軍所跡は、幕末に佐賀藩が洋式船による海軍教育を行うとともに、艦船の根拠地として、また修船・造船の機能を有した施設です。ここでは、船渠や製罐所をはじめとする遺構・遺物が良好に遺存していることが確認されました。幕末期における西洋の船舶技術の導入や軍事の展開を知る上で重要な遺跡です。

肥前国庁跡

広々とした枯草の広場の奥で、朱色の柱と白い壁、そして重厚な瓦屋根がコントラストを描く、歴史的な様式を再現した大門を遠景から捉えた写真

所在地 大和町久池井2738-2

指定年月日 平成元年9月22日

奈良~平安時代中頃まで継続した肥前国(佐賀・長崎)の政治の中核地であった役所の跡です。国司は中央から派遣され、著名な人には吉備真備などが記録に残っています。最盛期の9世紀初めには南北約104m、東西約82mの築地塀に囲まれ、主要な建物は礎石建ちとなりました。現在歴史公園として整備されており、南門と築地塀の一部が復元されています。

銚子塚

茶色く乾いた大地の中に、鍵穴のような独特の形をした前方後円墳の輪郭がはっきりと浮かび上がり、その周囲をパズルのピースのように不規則な形の田畑が隙間なく取り囲んでいる様子を真上から捉えた航空写真

所在地/佐賀市金立町大字金立

指定年月日/昭和53年3月11日

脊振山系南麓から南へ1キロメートルほど下ったゆるやかな微高地上、標高15メートル付近に位置する前方後円墳です。前方部を西に向け、全長98メートル、後円部直径58メートル、前方部幅32メートル。形は前期古墳に特徴的な柄鏡形で、幅11.5メートル~28メートルの濠が墳丘に沿って巡っています。内部は竪穴式石室と推定され、その墳形と出土遺物から4世紀末頃に築かれたものと推定されます。

西隈古墳

緩やかな草地の丘の上に大きな樹木がこんもりと茂り、その手前に二本の白い石柱と解説板が並んで立てられている写真

所在地/佐賀市金立町大字金立

指定年月日/昭和50年6月26日

脊振山系南麓のゆるやかな台地上にある、直径約30メートル、高さ約4メートルの円墳です。周囲を宅地や畑によって削られていますが、残りは良く、墳丘上からは形象はにわ、円筒はにわの破片が採集されており、葺石(ふきいし)帯なども確認されています。石室は花崗(かこう)岩を用いた初期横穴式石室で、石棺は阿蘇山系の凝灰(ぎょうかい)岩でつくられています。また玄室内は赤色顔料が塗られ、その構造から5世紀末頃につくられたと推定されます。

大隈重信旧宅

茅葺き屋根と瓦屋根が混在した伝統的な日本家屋の前に「史跡 大隈重信旧宅」と刻まれた白い石碑が建ち、手前には松の木と竹垣が配置された大隈重信旧宅の外観写真

所在地/佐賀市水ヶ江2丁目(大隈記念館内)

指定年月日/昭和40年6月4日

佐賀城下東部の東西に通る7つの小路は「佐賀の7小路」といわれ、佐賀藩の中流クラスの武士が住んだところで、大隈重信の旧宅はこの一番南の「会所小路」にあります。佐賀地方に多い「コ」の字の形をした、一部平屋、一部2階建ての家です。2階は、重信の勉強のために母親が建て増ししたといわれています。旧宅は建設当初からすると少し改造はされていますが、座敷・次の間・居間などの主要部はよく残っていて、昭和43年(1968年)には長く保存するために、解体修理を行いました。また、敷地内には大隈記念館があり、重信にまつわる資料を展示しています。

帯隈山神籠石

枯れ草が茂る緩やかな傾斜地の途中に、赤みを帯びた大きな長方形の石が横一列に並べられている帯隈山神籠石の写真

所在地/佐賀市久保泉町大字川久保

指定年月日/昭和26年6月9日

この神籠石(こうごいし)は、佐賀市の北部山麓にある帯隈山(おぶくまやま)に築かれた古代山城の跡といわれています。昭和16年に発見され、昭和39年に発掘調査がなされました。切石を並べた列石線は北側山頂部から下って南側山すそを廻り、馬のてい鉄のような形になっています。石は花崗岩(かこうがん)で、高さ60センチメートルほどの直方体に切りそろえられています。神籠石の作られた正確な年代や目的は今なお不明で、謎につつまれた遺跡です。

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