子育て応援コラム「アタッチメント」No.13 令和6年3月号
先月のコラム(令和6年2月号)では、子どもの権利について紹介し、体罰によらない子育てが求められていること、けれど子ども時代に体罰を受けてきた大人たちの戸惑う声も紹介し、最後には「次号のコラムで子どもの権利を尊重した子育てへと一歩近づけるヒントをお伝えできれば幸いです。」と書きました。大層な締めくくりをしてしまいました。コラム一つで解決できるほど容易ではないことですが、「一歩近づけるヒント」として、内面(自己洞察)と外面(行動制御)の両方のアプローチから考えていきたいと思います。
最初に、自己洞察から触れてみます。もともと私たちは、恋人や家族など親しい関係性の相手には生々しい感情をぶつける一面があります。保護者にとって、一緒に暮らす子どもは、可愛いという感情も強い反面、言うことを聞かずにムカつく等、遠慮なく怒りが湧いてしまう対象です。子どもへ生の感情をぶつける水路が既にできているという関係性なのです。
おおよそ生後1歳過ぎてからの子どもは、そうそう大人の言うことを聞かなくなるものです。子どもにとっては、自我を育てる健全な姿ですが、保護者からすれば、時間との戦いで日々を生きているのですから、予定が崩され、たまったものではありません。命や健康を守る責任感もあります。「ふざけていないで早く寝なさい」、「危ないよ。走ってはいけません」等、子どもを躾ける際の声かけが、常に穏やかにできる保護者がどれほどいるでしょう。どうしても感情を乱されながら子育てすることは避けられません。ですが、一方では、大人から子どもへの「行き過ぎた暴言、暴力」の免罪符にはできません。
多忙な日々だと思いますが、どうか、振り返る機会を持ってくださいね。子どもは別人格だ、まだ生まれて○年しか経ってないと頭でわかっていても、子どもを傷つけるような、ひどい言葉を吐いたり、我慢できずに手を出したりした場面はありませんでしたか。その行為の直前にどんな気持ちに駆られたのか思い出せますか。その場面と似たような光景が、かつての子ども時代の自分になかったでしょうか。「辛かった。怖かった。悲しかった。」と言う感情を当時誰にも言えず、封じ込めてきませんでしたか。
例を挙げると、子どもの頃、父親から「男が弱音を吐くな。」と叩かれてぐっと我慢していた経験を「厳しく育ててもらったから良かった」と正当化し、自分の子どもが弱音を吐く姿に接するたびに、「こんなことぐらい我慢できないでどうするんだ」と猛烈な怒りに駆られてしまう、と言った具合です。
時折、過剰な情緒的反応が起こる場合、目の前の子どもの行動は、スイッチにすぎないことがあります。スイッチが押され、自分自身の未解決な感情のしこり(行き場のなかった怒りや悲しみ)が疼き、痛み、コントロールし難い怒りとなって身の内側から襲ってくると言ったら良いでしょうか。安心できる相手に語ることを通して、その感情のしこりを手放すことができると、目の前の子どもの行動そのものを見て、暴言暴力でない妥当な対応をすることが可能になります。上手に伝えられなくても良いのです。子ども心に還って泣きながら、当時の感情を発散できれば、それは、過去となり、現在のあなたの心の奥を支配する力をなくしていきます。身近な相談相手、子育て支援者の方に頼ってください。
次に行動制御について触れたいと思いましたが、紙面が尽きました。「アンガーマネージメント」という言葉も聞かれたことがあるかと思います。暴言、暴力行為を回避する、怒りをコントロールする行動を身につけるという現実的な対処方法についてです。この続きは、次回のコラムで書かせていただくことにしましょう。
佐賀市こども・子育て支援専門アドバイザー 田口香津子