Language

文字の大きさ

背景色

第11代・齋藤用之助さん(2013年7月3日)

更新:2015年02月27日

沖縄で神様と呼ばれた人

佐賀の出身者で、「偉人」と言われる方は数多くおられるが、そのような「偉人」の中でも、没後も神様のように敬われ、祀っていただいている方はそんなに多くはないだろう。

そんな「偉人は?」と尋ねられたら、私は3人の名前を挙げることにしている。

年代順に揚げると、一人目は売茶翁、二人目は島義勇、三人目が第11代・齋藤用之助さんである。

売茶翁は京都の宇治で、島義勇は札幌で、そして齋藤用之助は沖縄の久米島で今も祀られている。

先日、「第11代齋藤用之助顕彰会」の総会が佐賀市内であった。

この顕彰会は昨年発足した。

第11代・齋藤用之助は1859年佐賀の諸富に生まれ、20歳で沖縄に警察官として赴任し、後に行政官として尽くし、100年ほど過ぎた今日でも、現地の人から神様のように敬われている人である。

中国との縁が深かった沖縄であるが、明治12年、琉球王国は明治政府の琉球処分により解体させられた。政情が安定しない時期の沖縄に初代県令として派遣されたのが佐賀の旧鹿島藩主・鍋島直彬である。

このとき佐賀からは多くの官吏が沖縄に渡られているようだが、その中の一人が用之助氏である。

用之助氏は、最初は力で抑える警察官としての派遣であったが、後に行政職に移り一度退職を経験されている。

その後復職してから要職を任されるようになり、那覇区長や島尻郡長を長年務められた。

この用之助氏が、なぜ、一世紀も過ぎた今日まで神様のように久米島の人たちから敬われるのだろうか。

第11代齋藤用之助氏と同じように行政を預かる私にとって、この疑問は、ものすごく大事なことであり、おそれ多いことである。

用之助氏はヒイジャー(山羊)好きであったことから、郡長時代には「ヒイジャー郡長」と呼ばれていたという。

こんなあだ名をもらうくらいに郡民から慕われ信頼を得ておられたのだ。

郡民を力で抑えるのではなく、郡民とともに汗を流し、苦労をともにし、気持ちが通じ合っていたのだ。

その間の功績として、交通網整備、人材育成、実業教育の推進、社会教育の整備、精糖業基盤の整備、硫黄島住民の全員の避難移動などが讃えられている。

 

最近、私たちはパフォーマンスに走りがちだが用之助氏はそうではなかった。

葉隠れ四誓願の中の「大慈悲を起こし人のためになるべきこと」を貫いた人だったという。

私にとっては、師としても忘れてはならない人である。

  • Facebookシェアボタン
  • Twitterツイートボタン
  • LINEに送るボタン

このページに関するお問い合わせ

総務部 秘書課 秘書係
〒840-8501 佐賀市栄町1番1号 本庁2階
電話:0952-40-7020 ファックス:0952-24-3463
メールアイコン このページの担当にメールを送る