Language

文字の大きさ

背景色

ローマ教皇の訴え(2019年12月3日)

更新:2019年12月 3日

今年も間もなく12月8日がやってくる。

今から78年前、昭和16年12月8日は日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が勃発した日である。私がまだおふくろのお腹にいた時の出来事である。

私と同じ年代には父親の顔を知らない「戦争遺児」は珍しくない。父親が戦地に赴き、帰らぬ人となったが故に、父親の「ぬくもり」を一度も経験したことがないという、何ともやるせない話である。

 

先月28日の西日本新聞の風向計の欄で、「東海林太郎に父を見た」という見出しが目に留まった。そこには、同じような思い出が語られていた。

会社勤めを終え、定年後、「東海林太郎」を「心の師」として歌の道へ進み、現在も活躍しているという福岡市在住の麻生さんという方が紹介されていた。

麻生さんは、私より1年ほど先輩だと思われるが戦争遺児だった。

話は東海林太郎さんとの出会いから始まり、自分が父親を知らないことや、戦地から戻らぬ父の代わりに母親が疎開先である佐賀県の鹿島市で農作業の手伝いや行商により子どもたちを育てていたことなど、戦後の苦労話に及んでいた。記事を読むうちに私は70年ほど前の記憶に引き込まれ、私の涙腺は次第に緩んでいった。

 

それより4日前の11月24日には、ローマ教皇フランシスコが長崎と広島を訪問された。

そこでは「核廃絶・平和への思い」を訴えられた。教皇の傍らには原爆投下後の長崎で米軍カメラマンによって撮影された「焼き場に立つ少年」の拡大されたパネルが置かれていたという。

死んでしまった弟の亡き骸を背中に「おんぶ」して、直立不動の姿勢で唇をかみしめ、火葬の順番を待つ少年をとらえたあの写真である。(以下この写真という。)

「朝日新聞デジタル 「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録(2017年8月9日)」

この写真を見るたびに、いつも、私はこの兄弟を「我が兄弟」と置き換えてしまう。

背中におんぶされた弟が私であり、おんぶしているのが長兄である。

長崎に原爆が投下された当時、私は3歳になったばかりである。3歳児なのでこのようなおんぶのされ方はできなかったかもしれない。しかし、おんぶしている少年は私の8歳上の長兄と同じ年頃である。

この子たちの父さん母さんはどうなったのだろう?そんな疑問がいつも湧く。

 

この写真を見てあなたはどう感じますか?

世界各国の指導者はどう考えるでしょうか?

この写真を見て、人を殺す戦争ができますか?

核廃絶はもちろんのこと、軍拡競争もやめましょう。

軍拡に回すお金があるのなら、もっと人類の幸福のために回そうではありませんか。

そんな訴えをローマ教皇フランシスコはされたと私は思います。

  • Facebookシェアボタン
  • Twitterツイートボタン
  • LINEに送るボタン

このページに関するお問い合わせ

総務部 秘書課 秘書係
〒840-8501 佐賀市栄町1番1号 本庁2階
電話:0952-40-7020 ファックス:0952-24-3463
メールアイコン このページの担当にメールを送る