先人に想う ~明治維新150年に寄せて⑨ ~
佐賀医学史研究会 理事 相良 隆弘さん

更新:2018年03月26日

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市報さがでは、幕末・維新期を中心に活躍した「佐賀市が輩出した偉人たち」にスポットをあて、縁のある皆さんにインタビューを行います。

今回は、相良知安の五代目のご子孫である相良隆弘さんにお話を伺いました。

(聞き手 池田剛)

日本の近代医学の基礎をつくった

相良知安は八戸(現在の佐賀市八戸)の生まれで、父も佐賀藩の藩医でした。<

幼少のころは、長安寺のあたりで江藤新平たちとよく遊んでいたようです。<

弘道館、藩医学校を経て、長崎でオランダ人医師のボードウィンに師事し蘭医学を学びました。

明治維新になり今後の日本医学の進むべき道について廟議が開催された際、薩摩、長州、土佐の出身者は、みなイギリス医学の採用を主張しましたが、知安は、ドイツ医学が最も優れていると主張し、それが採用されました。

明治7年に、日本医学の向かうべき道を示した「医制」という法令が出されましたが、その草案は、知安が書いたものです。

晩年は不遇だった

「相良知安先生記念碑」除幕式(昭和10年建立:東大医学部構内)

(「相良知安先生記念碑」除幕式(昭和10年建立:東大医学部構内))

知安は、ドイツ医学を採用する際に対立した旧薩摩藩士等によって、明治6年に失脚に追い込まれました。<

その後は、今の浜松町あたりの長屋で貧しい暮らしを送り、71歳で亡くなりました。

昭和10年に、全国の医師たちから寄付が集まり、東京大学医学部構内に記念碑が建立されました。

この記念碑は人目につきにくい場所にひっそりと建っていたのですが、平成20年の「東京大学医学部創立150周年記念事業」の際に、附属病院前の目立つ場所に移設されました。

上京される際は、東京大学本郷キャンパスにある記念碑をぜひ見学していただければ幸いです。

モニュメントができるのは嬉しい

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(相良知安のモニュメント(中央大通り))

知安は、東京医学校(現在の東京大学医学部)の初代校長を務め、日本の近代医学の基礎固めに大きく貢献しました。

しかし東京に出た後亡くなるまで、ついに佐賀に戻ることがなかったためか、これまで佐賀での認知度があまり高くありませんでした。

私は、知安から数えて五代目の子孫にあたりますが、とても残念な気持ちでした。

このたび佐賀県の明治維新150年事業の一環として、相良知安のモニュメントを佐賀市の中央大通り沿い(佐賀玉屋北側)に建てていただき感激しています。

これを機に、東京大学医学部の基礎を作った人物が、佐賀市出身だということを、まずは市民、県民の皆さんに知っていただきたいと思っています。

リンク

※先人に想う~明治維新150年に寄せて~は、市報さが1日号で連載中。

(相良隆弘さん:市報さが4月1日号

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