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惜しい人(2018年2月1日)

更新:2019年04月 3日

 2月に入った。

 節分が過ぎれば翌日は立春。厳しかった寒さも少しずつ和らぎ始めるだろう。

 11日には、今年で18回目を迎える「佐賀城下ひなまつり」が始まる。

 佐賀のまちが一段と華やかになり、行き交う人の数も多くなり、賑やかさを増すに違いない。

 まつりの期間は3月末までである。

 3月になれば、17日から10か月ほど続く「肥前佐賀幕末維新博覧会」がオープンし、佐賀の街をいっそう賑やかにしてくれる。

 そしてその翌日18日は第6回目の「さが桜マラソン」である。

 

 このように、佐賀市では楽しい春の催し物が目白押しである。しかし、私の心は今一つ冴えない。

 なぜならば、寒さが続いた昨年末から1月にかけて親しくする人の訃報が続いたからだ。

 中でも「元気で長生き」の見本のような方が亡くなったのはとても辛かった。

 亡くなられたその方は、富士町の石橋太郎さんである。

 101歳の誕生日を目の前にした訃報であった。

 一昨年の9月号「市報さが」で100歳の石橋さんを紹介しているので、その時の記事から当時の生活ぶりを拾ってみる。

 

 『石橋さんは現在一人暮らし。

 炊事、洗濯掃除などすべて自分自身でこなす自立した生活は、私たちの目標であり、お手本です。

 20歳で出兵し、中国北部の山間地に「山砲」と呼ばれる大砲を運ぶ任務に就きました。面倒見がよく、仲間が疲労で運ぶことが出来なかったときは二人分の大砲を運んだそうです。

 30歳から3年10ヶ月ほどシベリアに抑留。長い人生の中で最もつらい思い出だと語ります。

 故郷富士町に帰ってからは、村議会議員や地域の区長など、次々に責任ある仕事を歴任。富士町議会では副議長を務め、今でも地域の相談役として大切な存在です。

 一番の楽しみは、週に数回お酒を飲みに行くことと、そこで披露するカラオケです。お店で出会う若い人たちと一緒に過ごす時間は刺激があってとても楽しいそうです。インタビューの間、終始笑わせてくださった石橋さん。生気溢れるエネルギーをお裾分けしていただいた気持ちがしました。』

 

 私自身も何度か石橋さんのお宅を訪問し、一人暮らしの石橋さんの生活ぶりを見せてもらっている。

 100歳の方が一人で生活している部屋には、とても見えなかった。きちんと片付いているのである。

 「多くの高齢者が石橋さんのような生活が出来たら、医療保険も介護保険も、どんなに助かることだろうか」などと、身勝手な思いを抱くほどに元気であった。

 しかし、大先輩は「すうーっと」逝かれてしまった。

 惜しい人を亡くしてしまった。残念でならない。

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