先人に想う ~明治維新150年に寄せて⑨ ~
「佐賀市史」全5巻の編さんに携わった中野 和彦さん

更新:2018年01月31日

中野和彦さん②

市報さがでは、幕末・維新期を中心に活躍した「佐賀市が輩出した偉人たち」にスポットをあて、縁のある皆さんにインタビューを行います。

今回は、長年にわたって「佐賀市史」全5巻の編さんに携わった中野和彦さんに、その後の興味深いお話を伺いました。

(聞き手 池田剛)

佐賀市史の中の明治維新

佐賀市史2巻佐賀市史3巻

幕末・維新期は、「佐賀市史」全5巻の2巻の近世、3巻の近代に詳しく記述されています。

政治、産業、経済、教育・文化および市民生活等を網羅しています。

明治維新は政治的変革の印象が強いようですが、そればかりではなく多方面で変革・変動があったことが跡づけされています。

市史編さんに従事したためか、その余韻でしょうか。年月を経てもいろいろな場面に出会うことがありました。

先人がつなぐ交流

江藤新平の墓

(江藤新平の墓(本行寺))

江藤新平は、土佐甲浦(現高知県東洋町)で捕えられました。

東洋町の町長はじめ議会や町民の皆さんが佐賀市長を表敬訪問され、「甲浦の先人が江藤新平を救うことができなかった。」と頭を下げられました。

その足での墓参りでは、小雨の中ひざまずいて誤解を謝し、手を合わせられる姿が強く印象に残っています。

島義勇は、札幌の礎を築いた開拓判官として知られています。

札幌の都市計画にあたっては、「近世の城下町」を意識し、「城下町佐賀」の優れた近世都市構造をモデルにしているとの説があります。

ただ「まちづくりをした」だけでない、島の意欲の旺盛さや知識の奥深さを感じながら、札幌の識者たちとの交流を考えているところです。

佐賀の偉人たちの活躍

島義勇

(島義勇銅像(北海道神宮))

佐賀の偉人とは、「七賢人」や「偉人伝」に出てくる人物と捉える人が多いようですが、その他にも他の地域で活躍し、高く評価されている人が多くいます。

例えば、堤董眞は、佐賀藩が長崎に設けた蕃学稽古所で英語を学び、そこの役職も務めています。

後に政府官員となり、外国人著書を訳すなど、長く英語に関する職務にあたり大きな功績を残しています。

中山信彬は、兵庫県県令、外務省官員として活躍後、大阪株式取引所頭取に選任され経済界をリードしました。

また、佐賀藩士岩村定高は、三重県の初代県令を務めています。

昭和51年の佐賀国体の折、次回開催の三重県へ国体旗を引き継ぐにあたり、事前に三重県幹部により岩村の墓がある与賀町の寺で供養が行われました。

そして佐賀市に岩村定高県令の写真が贈られました。

このように佐賀出身の偉人たちの事績が各地・各所にあることは、その地の人々の敬いの心につながっている証拠ではないでしょうか。

佐賀の人材を知って欲しい

佐賀藩8代藩主鍋島治茂は、計画的人材養成のため藩校弘道館を設けました。

10代藩主鍋島直正の代に移転整備を図り、さらなる充実を目指しました。

弘道館の設置・運営から教育まで、古賀精里、その子穀堂、侗庵をはじめ卓越した指導陣で臨み、その力量によって優秀な人材を送り出しています。

江戸幕府学問所昌平黌(昌平坂学問所)への進学率は他藩と比べて抜群に高く、この人材養成の成果が多くの偉人の出現と功績につながったと感じています。

リンク

※先人に想う~明治維新150年に寄せて~は、市報さが1日号で連載中。

(中野和彦さん:市報さが2月1日号

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