先人に想う ~明治維新150年に寄せて⑤ ~ 末岡暁美さん

更新:2017年11月27日

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(末岡暁美さん)

市報さがでは、幕末維新期を中心に活躍した「佐賀市が輩出した偉人たち」にスポットをあて、縁のある皆さんにインタビューを行います。

今回は、「大隈重信と江副廉蔵」や「幕末明治肥前こぼれ話」の著者、末岡暁美さんに、大隈重信を取り巻く人々のお話を伺いました。

(聞き手 池田剛)

女性問題を調べていたら江副家にたどり着いた

本

私は、もともと女性問題に関心があり、永原マツヨ(西九州大学の創立者)のことを調べていました。

その時、大隈重信の最初の妻である美登のことを知ったんです。

その後、鹿島市立図書館の館長さんから美登のお墓を教えてもらいました。

墓を訪れた時、一対の燈籠が目に入り、そこに刻まれた江副廉蔵(美登の弟)に興味を持ち、江副家のことを調べたいと思うようになりました。

美登さんと大隈重信

美登さん

(犬塚美登さん)

美登は、大隈に離縁されたと言う人もいるようですが、実家である江副家と大隈家は、ずっとお付き合いがあり、とても良い関係だったようです。

大隈重信記念館には、大隈を支えた女性たちを紹介するコーナーがあり、美登のことも知ることができます。

美登は、大隈と別れたあと、犬塚という男性と再婚し、そのひ孫にあたる方がご健在です。

米鶴さんの絵

日下部米鶴像

(江副米鶴肖像画)

美登の弟である廉蔵は、たばこをはじめとする貿易商(江副商店)として莫大な富を築きました。

廉蔵の末息子は、夏目恒子という女性と結婚しました。

この人は、夏目漱石の次女なんです。このことは、廉蔵の交友の広さを物語っているのではないでしょうか。

また、廉蔵には、米鶴という娘がいました。米鶴は、大隈のお世話で、外交官だった日下部三九郎と結婚しました。

その時の仲人も大隈です。

この米鶴の肖像画が、佐賀県立博物館に所蔵されており、9月28日(木)から一般公開されています。皆さんにぜひ見ていただきたいです。

江副会

大隈重信肖像

(大隈重信)

廉蔵の子孫が、新宿日本語学校(学校法人江副学園)の校長をされていると聞き、お会いしてお話を伺いました。

また、米鶴には、10人の子どもがいました。この内の末娘、すなわち廉蔵の孫にあたる女性が、私がブログで、美登や廉蔵のことを書いていたのを偶然見つけ、「佐賀に行きたいと思っていましたが、伝もないので、良かったら案内してもらえませんか?」と連絡をしてこられました。

もちろん、喜んで案内し、これがきっかけで江副家の人たちとの交流が深まりました。

2006年には、江副家に関わる皆さんが「江副会」を作り、事あるごとに集まって、佐賀との関係が深まることになりました。

私は、大隈ととても深いつながりがあった江副家を通して「大隈重信という人物」を見るのも、興味深いと思っています。

リンク

佐賀県立博物館

大隈重信記念館

歴史探訪 幕末・明治の肥前

※先人に想う~明治維新150年に寄せて~は、市報さが1日号で連載中。(末岡暁美さん:市報さが10月1日号

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