先人に想う ~明治維新150年に寄せて③~
㈱サガシキ 枝吉 順佑会長

更新:2017年08月10日

枝吉会長

㈱サガシキ 会長 枝吉 順佑さん)

市報さがでは、幕末維新期を中心に活躍した「佐賀市が輩出した偉人たち」にスポットをあて、縁のある皆さんにインタビューを行います。

第3回目は、枝吉神陽に縁のある(株)サガシキの枝吉順佑会長にお話を伺いました。

(聞き手 池田剛)

家系図

家系図(表紙)家系図

(枝吉家系図)

枝吉神陽、副島種臣(枝吉神陽の実弟)の子孫の多くは佐賀を出ており、私と伯父が、佐賀にいる数少ない縁のある者となっております。

最近、伯父が私たちの家系図を作りましたので、何かの役に立てばと思って印刷しました。

家系図は、後漢皇帝の子孫が渡来し、大和朝廷に仕えた頃から始まります。

その後ずっと下って、先祖は、今の北川副町の枝吉という所に移り住み、城主となります。

その3代下った枝吉種次に4人の子どもがおり、その長男の子孫にあたるのが枝吉神陽と副島種臣、四男の子孫が私になります。

曾祖母

曾祖母

(曾祖母 枝吉 ヒテさん)

私の曾祖母は、明治元年生まれで、昭和50年に106歳で亡くなるまで、とても元気に過ごしていました。

曾祖母が亡くなったのは、私が34歳の時です。

とても記憶力の良い人でしたので、まるで歴史の生き証人のように、私と家内にいろいろな話を聞かせてくれました。

例えば、明治7年に起こった「佐賀の役」は、実際の体験談として聞きましたし、中林梧竹に書を習った話は、曾祖母の一番の自慢でした。

中でも、最もよく話に出てきたのが、大隈重信です。

すぐ近くの会所小路に住んでいたため、よく会っていたようで、「若い頃から弁が立つ人だった」と話していました。

枝吉神陽

枝吉神陽先生顕彰碑

(枝吉神陽顕彰碑(高傳寺))

明治維新では長州や薩摩の活躍が知られていますが、佐賀藩も、大隈重信をはじめとする多くの人材を輩出しています。

枝吉神陽は、明治維新を見ることなく亡くなってしまいましたが、彼が設立した「義祭同盟」に参加していた多くの佐賀藩士が明治維新に貢献しました。

最近は、枝吉神陽について書かれた本が出版されたり、「佐賀の八賢人おもてなし隊」による寸劇などもあり、注目されることが増えてきたように感じます。

今回の明治維新150年記念事業を通じて、枝吉神陽だけでなく幕末・維新期に活躍した佐賀の偉人たちをもっと多くの人たちに知っていただきたいと思います。

リンク

(株)サガシキ

※先人に想う~明治維新150年に寄せて~は、市報さが1日号で連載中。(枝吉 順佑さん:市報さが8月1日号

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