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与賀神社 | みどり | 金平糖 |
与賀神社の秋祭り
与賀神社といえば「十日恵比須大祭」で有名な神社ですが、江戸時代には、佐賀城の鎮守神として佐賀藩主鍋島氏から厚い崇敬を受けていました。
佐賀藩の請役家老(うけやくがろう)を務めた諫早家(親類同格)の日記に、この与賀神社の秋祭りについて、次のような記述があります。
【原文】
一 今昼八ツ過、与賀之宮御桟敷へ御出被成候、此節御提鈴一組、其外ニ重二段・餅・くきよふ盛組、其外御酒用意有之候、右盛組一通左之通
一段 もろこし餅
一段 焼まんぢふ
一段 かまぼこ・あわび・車ゑひ・小串欠・たいらき
一段 山芋色付・牛房・くわひ・ざぜん豆・花麩・香の物・椎茸
一 御菓子 色みとり・こんへひ・小落雁・りんかや・はるていす
一 鈴一双 盛組
外ニ黒重三段、右同断
~「日新記」宝永2年(1705)9月29日(諫早市立諫早図書館所蔵)~
【意訳】
今日の午後3時過ぎ、与賀神社の桟敷席へ(諫早家の当主の茂晴)がおいでになった。この時、提鈴、その他に重箱2段・餅・供饗の盛組・お酒の用意があった。右の盛組の内容は左の通り。
一段はもろこし餅、一段は焼饅頭、一段はかまぼこ・あわび・車海老・小串欠・たいらぎ、一段は山芋色付・牛蒡・くわい・座禅豆・花麩・香の物・椎茸。
また、お菓子は色付のみどり・金平糖・小落雁・砂糖榧・はるていす。
他に鈴瓶子が一組。黒い重箱が3段。
この記述から諫早家の当主茂晴が、豪華な料理やお酒が用意された与賀神社の桟敷席へ来たことがわかります。何のために桟敷席へ来たのか、ここからは読み取れませんが、調べてみると、秋祭りには殿様の名代として諫早家など親類同格(武雄鍋島家・多久家・須古鍋島家)が出席するのが恒例となっていたようです。
(「御代参并警固 一冊」諫早市立諫早図書館所蔵より)
ただ、茂晴は忙しかったのか、お祭りの神事が済むと参拝もせずに、すぐに登城しています。
豪華な料理やお酒はどうなったのか、と気になるところですが、この時は諫早家の親戚筋の若者たちが桟敷席に集まり、名代の名代として、飲食を楽しんだようです。
与賀神社の秋祭りは、現在では毎年10月の第4日曜日に行われています。
※提鈴(さげすず)・・・錫製の手提げ瓶子。くびれのある徳利のようなもの。
※小串欠(こぐしかけ)・・・鰻の蒲焼を串に刺したもの。
※座禅豆(ざぜんまめ)・・・精進料理のひとつ。熊本県の郷土料理。黒豆や大豆を甘辛く煮たもの。僧侶が座禅中にトイレに立たなくて済むように食べたといわれている。
※みどり・・・江戸時代に全国で作られていた菓子で、小麦粉と砂糖を水でこねて細く切って焼き、砂糖蜜を上からかけたもの。色は白い。大きさによって、「大みどり」「若みどり」などと呼び分けていた。
※砂糖榧(さとうかや)・・・榧の実の砂糖がけ。ここでは、「りんかや」。
※はるていす・・・南蛮菓子の一種。
【参考文献】『與賀神社誌』
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