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佐賀城だより 第7号

更新:2013年06月27日

現存する赤石井樋位置図 「元文佐賀城廻絵図」に見られる南堀端の井樋 お堀の南西隅に残る赤石井樋

現存する赤石井樋位置

「元文佐賀城廻絵図」に

見られる南堀端の井樋

お堀の南西隅に残る赤

石井樋

佐賀城お堀の赤石井樋

佐賀城の南堀端に赤石で造られた井樋が2ヵ所あります。1つは赤松小学校北東隅にある消防格納庫脇の水路、もう1つはお堀南西隅の水路で、いずれも天井石は安山岩系の板石ですが、側壁と底石には赤石の竿石・板石を使用した二口構造の井樋です。

公益財団法人鍋島報效会(こうえきざいだんほうじんなべしまほうこうかい)所蔵の「元文佐賀城廻之絵図(げんぶんさがじょうまわりのえず)」には佐賀城内や城下の井樋が設けられた場所が詳しく記されており、それを見ると南堀端の多久長門(たくながと)屋敷のあたり4ヵ所に井樋が描かれていることが確認できます。そのうちの1つが消防格納庫脇のものにあたりますが、もう1つのお堀南西隅のものについてはこの絵図には描かれていませんでした。

また、8代藩主治茂(はるしげ)のことが書かれた「泰国院様御年譜地取(たいこくいんさまごねんぷじどり)」の寛政(かんせい)10年(1798)12月の記事には「洪水の時、御堀が満水になって城内に水が上がるので、南堀端の多久家下屋敷から西に3ヶ所、赤石で井樋を掛ける。」という内容のことが書かれています。

このようなことから、8代藩主治茂(はるしげ)が寛政年間を中心に行った堀岸の板護岸から赤石護岸への改修と同時に付属する井樋の改修等の工事も行われたものと考えられます。

さらに、消防格納庫脇の井樋については、上記に紹介した文書と場所的に一致するので寛政10年に改修された井樋の1つ、またお堀南西隅の井樋については、記された文書等を確認できているわけではありませんが、この堀岸改修工事の中で新しく取り付けられたものではないかと推察されます。

現在の南堀端はお堀側に佐賀城公園の園路が設けられているため、いずれの井樋も呑み口側にはコンクリート製の樋門が継ぎ足されてはいますが、吐き口側からは当時のままの姿を見ることができます。約200年の歳月を経た今でも現役として活躍し続ける赤石の井樋。みなさん一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

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