佐賀市重要有形民俗文化財
佐賀市重要有形民俗文化財の紹介です。
鳥類供養塔
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所在地 佐賀市川副町大字福富(米納津)
指定年月日 昭和63年5月14日
米納津付近は鍋島藩の御狩場であったといわれています。通称「雁の塔」と呼ばれているこの石碑は享保14年(1729年)に建てられています。塔の碑文には「回向鶴白鳥雁大小鳥類壱万二千六百餘之幽魂業性轉滅」とあります。また、「大乗妙経を読唱し、経文を一石に一字ずつ書写し供養する」という意味の文も刻まれています。
犠牲となった鳥類の魂を鎮めるとともに、悪の報いがないようにという祈りをこめて建てられたものと思われます。
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掘江神社神像群
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所在地/佐賀市神野西2丁目(掘江神社)
指定年月日/昭和42年2月11日
熊襲討伐のため、肥前に来た日本武尊の遺徳をしのんで土地の人が小さなほこらを建て、掘江大明神と呼んだのが掘江神社の起源といわれています。この神像群には一国一社の国名神号が墨書きされています。67体ある神像はすべて一木彫製で顔面だけを現し、体部は円筒形に彫っただけの実に素朴な彫像です。高さは20センチから25センチ。立っているのか座っているのかもわかりません。
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石造えびす坐像
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所在地/佐賀市北川副町大字光法(西ノ宮社)
指定年月日/昭和44年2月11日
恵比須石像は、一般的にかつて商家が栄えた宿場町などの路ばたにまつられている福の神で、佐賀市内でも数多く見ることができます。この西の宮社の恵比須像は、残念ながら作者は不明ですが、江戸時代中期の享保16年(1731年)に造られ、石造としては県内でもっとも古い作品のひとつです。岩座を含めて像高は63センチで、左手を軽くまげ鯛を抱え、右手も軽く前にまげて竿をにぎる格好をしています。
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木彫彩色婦人坐像
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所在地/佐賀市久保泉町川久保(慈音院)
指定年月日/昭和44年2月11日
佐賀市北部山麓川久保の領主であった神代直長の娘、成姫は、佐賀藩2代藩主、鍋島光茂の養女となり、白石の邑主、鍋島直弘の子、鍋島直氏に嫁ぎます。しかし、難産のために18歳で死亡。このため、実父直長は娘のめいふくを祈って慈音院を建立し、姫の像を刻んで本尊観世音像の胎内に納めました。製作年代は延宝4年(1676年)頃と推定されます。明治年間になって発見されたこの像は、本尊とともに安産の仏として信仰されています。
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旧城下町の道標
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所在地/佐賀市長瀬町
指定年月日/昭和46年2月11日
江戸時代、街道または脇街道などの主要幹線道路が整備され陸上交通は著しく発達しました。この道標は、長崎街道に設けられた道標のひとつで、佐賀城下の長瀬町から陸路長崎街道をそれて、諫早渡海場へ通じる分岐点に位置しているものです。道標の上部には指をのばした手が方向を示し、その下に行き先の地名が刻まれています。高さは約122センチ、幅は21センチで、製作年代は江戸時代の中期以降と考えられています。
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木造河童像
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所在地/佐賀市蓮池町大字蓮池(宗眼寺)
指定年月日/昭和52年1月11日
曹洞宗宗眼寺は、蓮池支藩の初代支藩主、鍋島直澄の霊屋があるお寺です。この霊屋の梁の上に、両足を立てて尻をおろした、23センチあまりの河童像があります。造られた年代は明らかではなく、ここにこの河童像がある理由も不明です。しかし、佐賀地方の風土が育んだ河童伝説に基づく遺物の代表的なもののひとつとして、民俗学的に興味深いものです。
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虫供養塔
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所在地/佐賀市嘉瀬町大字扇町
指定年月日/昭和55年3月1日
江戸時代、農民たちは水田に発生した害虫を殺し、その霊を村境の川や海まで送り出しました。この供養塔は、そのときの虫の霊を鎮めるためのもの、つまり全国的に行なわれた「農民の素朴な行事」のなかで建てられた虫のための供養塔です。建立年は貞享2年(1685年)、高さ2.2メートルのたんざく形。県内で唯一の虫供養塔です。
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石造恵比須半跏像
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所在地/佐賀市西与賀町相応下
指定年月日/平成7年10月23日
佐賀市は、全国的にみても恵比須像がたくさん置かれている場所として注目されています。この恵比須像は台座を含め高さ58センチで、鯛を左脇に抱き、右手を前に曲げて竿をとる姿で、全体的に破損の少ない保存状態の良い像です。製作年は享保9年(1724年)で、年代の判明している恵比須像のうち、市内では最古級のものです。
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