佐賀市重要文化財P10
佐賀市重要文化財の紹介
一石五輪塔
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所在地/佐賀市諸富町大字為重873番地(多聞院)
指定年月日/昭和57年4月1日
塔はお釈迦様の遺骨、仏舎利を安置する信仰から生まれ、日本では五輪塔、宝塔、宝篋印塔、板碑などが造られました。これらは本来の意味をはなれ、墓碑や故人への供養である追善、自分自身の後生利益を祈る逆修などのために造立されるようになりました。五輪塔は密教の宇宙根本の思想である空、風、火、水、地を象徴的に表現し、空の宝珠形、風の半円形、火の三角形、水の円形、地の方形を積み重ねています。室町時代頃から一石で造りだす「一石五輪塔」も多く見られます。この一石五輪塔は高さ91センチメートルを測り、形態から室町時代後半と推定されます。
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六地蔵
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所在地/佐賀市諸富町大字為重873番地(多聞院内)
指定年月日/昭和57年4月1日
県内の多くの石造六地蔵の大半は、柱状の台の上に連弁を刻んだ台座をのせ、その上に六地蔵菩薩像を彫った石、さらに宝珠を刻んだ笠をのせています。中には六観音も刻んだものもみられます。多聞院境内には2基の石造六地蔵があり、1基は地上高195センチメートルを測り、竿石には二体の半肉彫像を刻みます。もうひとつのものは、像高150センチメートルを測ります。この二つの六地蔵は、室町時代後期の所産と考えられます。
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天女絵柄半鐘
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所在地/佐賀市諸富町大字徳富1936番地(東光寺)
指定年月日/昭和57年4月1日
通常、口径1尺8寸(約54.5センチメートル)以上のものを梵鐘と呼び、それ小型のものを半鐘といいます(別な説もあります)。この半鐘は、寛文11(1671)年に植木善兵衛が東光寺のために製作したことが銘文から窺えます。総高46.3センチメートル、外口径は30.4センチメートルを測ります。善兵衛鐘によく見られる吹笙飛天が陽鋳されています。植木(樹)善兵衛正住は江戸時代前半に活躍した佐賀の鋳物師で、およそ50個の鐘が県内各地の寺院などで確認されています。
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一木七仏薬師如来立像
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所在地/佐賀市諸富町大字大堂1936番地(東光寺)
指定年月日/昭和57年4月1日
薬師如来が、衆生を救うために姿を変えて現れるという七つの姿を現したのが七仏薬師です。この東光寺の七仏薬師は僧行基が七仏像を造りこの地に納めたと伝えられ「川副庄の一木七仏薬師如来」の第一番として江戸時代の記録に見られます。頭体の根幹材はヒノキ材一材のいわゆる一木造りの彫眼で、像高137.5センチメートルを測ります。実際の制作年代は室町期とみられます。
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木造阿弥陀如来像
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所在地/佐賀市諸富町大字寺井津436番地(光専寺)
指定年月日/昭和57年4月1日
護命山光専寺は肥前国最初の真宗道場と伝えられ、清和源氏の武田刑部少輔太郎信重を祖とする甲斐民部大輔神四郎(教明教師)により建立されたと伝えられています。本像はヒノキ材の寄木造、玉眼、漆箔像で像高77センチメートルを測ります。寺伝では浄土教を全国に広めた源信僧都の作と伝えられていますが、実際の制作年代は鎌倉時代の専門仏師の作と考えられます。
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木造不動明王坐像
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所在地/佐賀市諸富町大字大堂1363番地
指定年月日/昭和57年4月1日
ヒノキ材料の寄木造り、玉眼の色彩像で像底に朱書銘があり、京都の仏師杉伊左衛門により、享保元年(1716)に造られたことがわかります。像高65センチメートルを測ります。
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木造阿弥陀如来坐像
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所在地/佐賀市諸富町大字大堂1141番地(土師地区公民館)
指定年月日/昭和57年4月1日
本像は、上品下品印を結ぶ阿弥陀如来坐像で、像高30センチメートルを測ります。ヒノキ材の一木造りで彫眼。像底に墨書銘があり、応永18(1411)年に造られ、川副の寺院に安置されていたことがわかります。光背と台座は別の仏像のもので銘文から、小城岩蔵寺(佐賀県小城市)の虚空蔵菩薩像のもので元亀4年(天正元年・1573)に製作されたことがわかります。
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