佐賀市重要文化財P8
佐賀市重要文化財の紹介です
六尊六地蔵
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六尊六地蔵
所在地 三瀬村詰瀬
指定年月日 昭和49年8月22日
県内の多くの石造六地蔵の大半は、柱状の台の上に連弁を刻んだ台座をのせ、その上に六地蔵菩薩像を彫った石、さらに宝珠を刻んだ笠をのせています。中には六観音も刻んだものもみられ、この六尊六地蔵もそのひとつです。室町時代の所産と考えられます。
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有蓋類型板碑(鳥獣供養塔)
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有蓋類形板碑(鳥獣供養塔)
所在地 三瀬村杉神社
指定年月日 昭和49年8月22日
捕獲した鳥獣等の霊魂を鎮め、その成仏を願って法要を行い建立された石塔です。県内各地には江戸時代に建立された供養塔がありますが、塔の形式はさまざまなものがあります。この石塔は屋根のついた板碑形式のもので鳥獣供養塔のなかでは古いものです。
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大串神社の肥前狛犬
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大串社(櫛田神社)の肥前狛犬
所在地 富士町大字大串三本松 大串社
指定年月日 平成10年11月26日
肥前狛犬は江戸時代前半に佐賀地方を中心として製作された石造の狛犬です。肥前狛犬の一般的な特徴は小形でその姿態は極めて静的で細部の表現は省略され、彫法は簡潔で素なことなどが挙げられます。この神社の肥前狛犬は、阿像が像高39.7センチメートル、吽像が像高38.1センチメートルを測り、銘文から寛文元(1661)年に奉納されたことが窺えます。
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神代勝利公の墓
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神代勝利の墓(石造宝篋印塔)
所在地 富士町大字関屋 宗源院墓
指定年月日 平成10年5月27日
神代勝利(1511~1565)は肥前国を代表する戦国武将の1人です。勝利は少弐氏に属し山内(現在の佐賀市北部)に勢力を培い、その武勇と知謀によって一躍肥前の有力武将に成長しました。少弐氏が龍造寺隆信によって滅ぼされたあとも、隆信に屈せず、互角に戦い晩年に隆信と和睦をし、子孫は鍋島氏の重臣となりました。勝利は畑瀬城(佐賀市富士町)で永眠後、畑瀬山宗源院に葬られました。墓は宝篋印塔です。この塔の本来の目的は宝篋印陀羅尼経を納める目的で建立される塔です。高さ130センチメートルを測り、塔身には勝利の戒名が刻まれています。
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佐熊遺跡出土・鐸形土製品
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所在地 佐賀市大財3丁目11番21号 佐賀市教育委員会
指定年月日 昭和62年7月25日
佐熊遺跡は弥生時代集落や墓地が調査されたの惣座遺跡の南に位置する遺跡で、弥生~中世の集落跡などが発見されています。この鐸形土製品は溝から出土しました。下半部を欠いています。残存長6センチメートル、幅6センチメートルを測ります。上部をつまみ出し鈕とし、中央に穴をあけています。
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本村籠遺跡310号土壙墓出土遺物(出土状況写真)
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所在地 佐賀市大財3丁目11番21号 佐賀市教育委員会
指定年月日 平成2年5月30日
本村籠遺跡は佐賀市大和町池上に位置します。多鈕細文鏡を出土した地点の約400m南西に位置し、この地点からも弥生~中世の墓地、集落が調査されています。屋敷地を示すと考えられる鎌倉時代の区画溝内には、屋敷墓と考えられる310号土壙墓が発見されています。内部からは龍泉窯系青磁椀2個、土師器小皿4枚、小刀1振が埋納されていました。青磁椀はグリーンの釉色の発色がすばらしい優品です。鎌倉時代この一帯は於保氏が地頭職を相伝しており、関連が考えられます。
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大願寺二本松遺跡出土八花鏡・銅製鉈尾
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所在地 佐賀市大財3丁目11番21号 佐賀市教育委員会
指定年月日 平成10年5月11日
大願寺二本松遺跡は県史跡大願廃寺の約1キロメートル西に位置する縄文・古墳・奈良・平安時代の集落跡です。特に奈良・平安時代の建物群は計画的な配置がみられ、官衙関連の遺跡と考えられます。これを裏付ける遺物として帯金具、鏡、越州窯系青磁、東海系須恵器、木製鞍と多くの墨書土器が出土しています。このうち帯金具は青銅製の鉈尾で、残存長6センチメートル、幅3.8センチメートルを測る。鏡は八花鏡の約1/8の破片です。銅質は大変良い優品で復元すると約18センチメートルとなります。
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