佐賀市重要文化財P3
佐賀市重要文化財の紹介です。
上林家文書
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所在地/佐賀市呉服元町
指定年月日/昭和59年3月26日
江戸時代の初め、皇室や将軍家、諸大名家を対象として茶業を営んだ「御物仲間」という格式の高い一団がありました。上林家はその「御物仲間」八家の一つに数えられ、以来、鍋島家とは茶業を通じて深い関係のあった家柄です。上林家に伝わる古文書は1056通あり、その中には熊本の細川三斎、仙台の伊達政宗、千宗易、小堀遠州、柳生宗矩などの書状があり、日本の茶業史および茶道史を研究する上で貴重な資料といえます。
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長尾山年譜
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所在地/佐賀市北川副町大字江上(長尾山福満寺)
指定年月日/昭和43年2月11日
『長尾山年譜』は第1巻、第2巻、第3巻の上、第3巻の下、第4巻と区分され、全5冊からなります。この年譜は「肥前之州、佐嘉県、川副江上…」より書きはじめてあり、当時の開基の由来、各世代住持における出来事、皇室や武将との関係とその信仰状況、伽藍再建の模様、寺領および寺有地の内容、各種の年間行事仏事法要などについて、細かく年代順に記されています。この年譜は仏教史だけでなく、中世の荘園を研究する上で重要な資料といえます。
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末代念仏授手
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所在地(所有者)/伊勢町(大覚寺)
指定年月日/昭和45年2月11日
浄土宗の開祖は法然上人(ほうねんしょうにん)といいますが、上人没後、徒弟間で教義解釈に違いが生じてきました。そこで高弟の一人弁長が、上人の教義をまとめ統一を図りました。このまとめられた教義に弁長自らの手印を押したものを「末代念仏授手印」といいます。これは鎌倉新仏教を研究する上で重要な資料といえます。
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絹本淡彩金立神社縁起図
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所在地/佐賀市城内1丁目(佐賀県立博物館)
指定年月日/昭和47年2月11日
画面は絹布3枚継ぎで、縦181センチ、横107センチ、上、中、下の3段に分けられています。上段は金立神社上宮の景観、中段は金立神社下宮の景観、下段は徐福上陸の場となっています。この絵は神社や寺院などの縁起物としては最もすぐれたもののひとつです。由緒ある金立神社の信仰を研究する歴史的資料として価値の高いものです。
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絹本着彩与賀神社縁起図
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所在地(所有者)/与賀町(与賀神社)
指定年月日/昭和53年3月1日
与賀神社縁起図は延宝6年(1678年)に佐賀藩鍋島家から奉納寄進されたものです。筆者は永松玄偲で、与賀神社が造られて御神幸が行なわれるまでの過程が物語風に描かれています。画題は、建物、人物、山川、松楠竹などの樹木の4種からなり、人物をはじめその描写は細密で、画面の構成もよく整っており、一見大和絵風にも見えます。
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大涅槃像
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所在地/佐賀市本庄町大字本庄(高伝寺)
指定年月日/昭和59年3月26日
この涅槃(ねはん)像は、縦14.4メートル、横6.3メートルもある巨大なものです。佐賀藩3代藩主・鍋島綱茂が、京都に住む経師・若井利左衛門の協力を得て、京都東福寺にあったものを書き写させたものと伝えられています。作者は不明です。箱のふたの裏には「宝永3年(1706年)」と書かれてあり、おそらく涅槃像が完成した日付と思われます。
損傷が激しかったため、平成20~21年度にかけて修理が行われました。折れや皺を修復した後に実測した結果、縦15.2m、横6.1mであることが判明しました。
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島義勇の旅日記
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所在地/佐賀市本庄町
指定年月日/昭和47年2月11日
この日記は、佐賀藩士島義勇の慶応4年(1868年)2月16日から同年5月6日までの109日間の記録です。江戸城明け渡し前後の世相と、義勇自身の動きについて知ることのできる貴重な記録です。この日記には幕末から明治初期にかけて、日本の近代化に貢献した人物も多数登場しており、明治維新史を研究する上で貴重な資料といえます。島義勇は明治2年(1869年)7月北海道開拓使の主席判官を命じられ、北海道開拓史上重要な人物でもあります。
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大興寺所蔵大般若経
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所在地/佐賀市神野東3丁目(大興寺)
指定年月日/昭和57年3月1日
この大般若経は、600巻(欠本10)で、全巻を通してみれば書いた人の数も多く、書かれた時期にもかなりの幅があります。しかし、大半は僧慶雲と同玄詮の2名によって、天授3年(1377年)から4年にかけて書き写されたものです。天授年号は南北朝時代の南朝の年号で、その写経の多くが南朝の年号を記していることは、当時の歴史を知る上で貴重な仏教遺品といえます。
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副島種臣の書
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所在地/佐賀市呉服元町(願正寺)
指定年月日/平成5年3月31日
幕末から明治維新にかけて国事に奔走した副島種臣は、蒼海という号を持ち、詩書にすぐれた人物でした。書は余技といわれていますが、当時の一流の書家と比べてもすこしも見劣りしません。本書は明治26年(1893年)、種臣が65歳のとき、願正寺裁松上人13回忌法要のための追悼詩であり、気迫に満ちた厳粛で格調のある大作です。
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赤松小学校の校務日誌
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所在地/佐賀市中の館町(赤松小学校)
指定年月日/平成7年10月23日
明治41年(1908年)赤松尋常小学校が創立され、昭和16年赤松国民学校を経て、昭和22年に佐賀市立赤松小学校となりました。この赤松小学校には創立からの校務日誌が保存されています。この日誌には校内の行事関係だけではなく、その時代の状況がわかる記事もあり(大隈重信や伊藤博文の死に際しての学校としての対応など)、学校教育の歴史だけではなく佐賀市の近現代の歩みを知ることのできる貴重な資料です。
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木彫毘沙門天立像
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所在地/佐賀市西田代1丁目(本行寺)
指定年月日/昭和43年2月11日
日蓮宗本行寺の毘沙門堂に安置された、富貴栄禄を祈願する信仰の対象。けやきを素材とした寄木造りで、様式からみると室町中期前後の作と推定されます。表情は、仏法を守護するきびしさと、人間の魔心(=ぼんのう)をしかりつけるような力強さがあります。頭部から脚部まで1.1メートルあり、台座から槍上までは1.47メートルあります。
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