(1)「済世顧問制度」の誕生 ー民生委員制度のはじまりー
民生委員制度は、大正6(1917)年5月12日に岡山県で創設された「済世顧問制度」を源流としています。
創設したのは、当時の岡山県知事であった笠井信一氏です。
笠井知事は、大正天皇から岡山県内の貧しい人々の生活状況について尋ねられ、状況の調査を行いました。
すると、なんと県民の1割が「極貧」とも言える状況にあることが分かったのです。
この事態を重く見た笠井知事は、防貧制度(貧困に陥ることを防ぎ、また貧困に陥った人を救う制度)を確立するため研究を重ね、大正6年5月12日に「済世顧問設置規程」を公布しました。
これが「済世顧問制度」、現在の「民生委員制度」のはじまりです。
このことにちなみ、現在では5月12日を「民生委員・児童委員の日」と定めています。
笠井知事が創設した済世顧問制度は、(1)地域の優れた人材に顧問を委嘱する、(2)防貧活動を使命とする、(3)自立能力を潜在させている人々がその力を発揮できる機会を提供し、自立を支援する、といった点が特徴としてあげられます。
(2)「方面委員制度」の誕生と普及
「済世顧問制度」が誕生した翌年の大正7(1918)年、大阪府で「方面委員制度」が創設されました。
創設したのは、当時の大阪府知事、林市蔵氏、そして、その協力者が大阪府最高嘱託小河滋次郎法学博士です。
当時、富山県で発生した米騒動は大阪にも波及し、市民の生活はきわめて厳しい状況となり、生活困窮者への早急な支援が求められていました。
そうした状況のなか制定されたのが「方面委員制度」です。
方面委員の「方面」とは「地域」を表します。
各委員は、(1)それぞれが一定の区域を担当、(2)区域の訪問調査により世帯状況を常に把握する、(3)生活困窮等で支援が必要な人は迅速に救済機関につなげる、といった役割を担っており、それは今日の民生委員に共通しています。
とくに訪問調査により把握した世帯状況は「カード」として書面化されていました。
済世顧問制度や方面委員制度の検討過程では、市内を地区に分け、それぞれに委員を配置し、住民の生活状況を把握するというドイツ・エルバーフェルト市の「救貧委員」制度が参考にされました。
方面委員制度は全国に普及していきました。
佐賀県では大正13(1924)年に創設され、昭和3年には日本全国に方面委員が設置され、その委員数は1万5,155人を数えるところとなりました。
昭和6(1931)年には方面委員の全国連絡組織として、全日本方面委員連盟(現在の全国民生委員児童委員連合会の前身)が誕生し、初代会長に渋沢栄一氏が就任しました。
昭和11(1936)年には方面委員令が公布され、方面委員制度の法的基盤が整えられました。
こうして、方面委員の活動体制が整えられていく中、日本は戦争の時代へと突入します。
昭和12(1937)年には日中戦争が、昭和16(1941)年には太平洋戦争が勃発し、戦時体制のなか国民は厳しい耐乏生活を余儀なくされました。
こうしたなかにあっても、方面委員は出征軍人の家族への支援など、住民に寄り添った活動を続けたのでした。
(3)方面委員から民生委員へ
昭和20(1945)年8月、日本は終戦を迎えました。国民の生活はなおも厳しく、その中でも子どもたちは戦後の窮乏の影響を大きく受けていました。
そうした状況のなか、昭和21(1946)年9月に民生委員令が制定され、方面委員は民生委員と改められました。
「民生」とは、「国民の生活・生計」という意味で、広く国民生活全般の相談に応じる役割を表す名称とされました。
また、委嘱者も都道府県知事から厚生大臣(当時)に改められました。
昭和22(1947)年には、児童福祉法が制定され、民生委員が児童委員を兼任することとなりました。
これは戦前から児童の福祉は方面委員の活動の柱となっていたこと、また子どもの課題は家庭の状況を総合的に把握する必要があったことが理由です。
さらに昭和23(1948)年7月には民生委員法が公布されました。
これにより制度が法律化され、委員の資格要件や任期(3年)、委員選任のありかた等が明確に定義されました。
昭和35(1960)年には民生委員・児童委員のシンボルマークが公募により選ばれました。
このマークは、幸せのめばえを示す四つ葉のクローバーをバックに、民生委員の「み」の文字と児童委員を示す双葉を組み合わせ、平和のシンボルの鳩をかたどって、愛情と奉仕を表しています。
その後も民生委員・児童委員は、低所得世帯への支援や相談窓口の設置、地域社会の実情把握のためのモニター調査など、その時々の社会の要請に応じた活動を展開してきました。
(4)現在の民生委員活動
平成に入ると、少子化の進行や児童虐待の顕在化など子どもをめぐる課題が多様化し、児童委員への期待が高まります。
しかし一方で、急速に進行する高齢化への対応も求められ、児童委員としての活動が十分に行えないという状況も発生していました。
そこで平成6(1994)年1月、民生委員・児童委員のなかで児童委員活動を専門的に担う主任児童委員が配置されることとなり、全国で約1万3, 000人が委嘱されました。
平成12(2000)年6月には民生委員法が改正され、民生委員の性格が「住民の立場に立った相談・援助者」とされたほか、「名誉職」規定が削除され、地域福祉の担い手として「住民の福祉の増進を図るための活動を行う」こと等が明示されました。
近年では、孤立や孤独、児童・高齢者・障がい者に対する虐待、悪質商法被害、災害への備えなど、地域住民の課題が多様化するなか、民生委員への期待が一層高まっています。しかし同時に、民生委員の負担も増大し、なり手確保も大きな課題となっています。
出典:民生委員児童委員のひろば 2017年4月号 厚生労働省ホームページ
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