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【教育長だより】肥前国庁南門ライトアップ&芸能祭

更新:2016年12月 9日

南門灯篭写真     薩摩琵琶2

漆黒の闇に浮かび上がるライトアップされた       古代人の鎮魂歌とも思える音色の「薩摩琵琶」

「肥前国庁南門」

大和太鼓

闇夜に響き渡る勇壮な「大和太鼓」

 

平成28年12月16日

 私が、「肥前国庁跡」を初めて訪れたのは、7年前の平成21年12月21日でした。その日はとても風が強くて冷たかったように記憶していますが、その風の音には、まるで古代の人々が話しかけているような錯覚を覚えました。
ひとり、遺跡の正殿前に立ち、当時の人々の暮らしぶりや国庁界隈の様子を想像しながら、しばし律令国家時代にタイムスリップしてみました。
中央から派遣された国司はどんな政務を行っていたのでしょうか。戸籍の整備には苦労が多かったのでは。また、税をどのようにして決め、徴収していたのでしょうか。農業は最も大切な産業だったはずです。その技術指導や推進にどんな策を講じたのでしょう。当時も犯罪はあったでしょうし、その取締りや裁判も行っていたのでしょう。当時なりに日々忙しい公務だったのではないでしょうか。

 ここ肥前国庁跡は、かつて、奈良時代後期から平安時代前期にかけて、古代肥前国(現佐賀・長崎県を併せた地域)の役所があった所で、政治、経済、文化の中心をなしていました。
国庁周辺は、多くの公共施設や役人の居館や税として徴収した穀物を納める倉等が立ち並ぶいわば官公庁街であり、定期の市も開かれており、人々が往来し賑わいがあったことでしょう。また、国庁の東には、巨大な七重の塔を持つ国分寺、九州一の大仏があったと伝えられる国分尼寺が建ち、九州を統括した大宰府、そして都とは国道であった西海道で結ばれていたそうです。想像するだけでもワクワクしてきます。
肥前国庁跡は、復元された南門と築地塀の内側に当事の行政の中心としての国庁跡が広がっていますが、全国的にみても、遺跡の全貌が判明し門が復元されているのは出羽の東門と肥前国庁南門の2箇所だけであり、古代の地方行政府を知る上で大変貴重な遺跡となっています。

 さて、今年は10月1日に「肥前国庁跡南門ライトアップ&芸能祭」を開催しました。秋風が頬をなで、曇天とはいえ星もちらほら輝く趣のある夜でした。きっと千年前には、この国庁周辺で生活をしていた古代の人たち、佐賀市の先人たちも、この夜空を眺め、同じ星の輝きを見つめたのでしょうか。
漆黒の闇に浮かび上がる南門は幻想的で、当事の人々の息遣いが聞こえてくるような雰囲気を醸し出していました。
 当日は400人を越える参加者とともに、芸能祭というしばしの空間を共有し、千年の昔に思いを馳せたところです。
 午後7時過ぎ、大太鼓の重厚な音が一体に鳴り響き南門が静かに開門されました。そこから登場された薩摩琵琶奏者の北原香菜子さんの姿は、まるで千年前の使者のようにも思われました。幽玄な音色で奏でる琵琶の演奏は、まるで古代の人々への鎮魂曲のようで、千年前の時代に吸い込まれていきました。そして、篠笛奏者の佐藤和哉さんの素朴で澄み渡った演奏で最高潮となりました。最後を飾った「大和太鼓」、子どもから大人までの一糸乱れぬ力強い演奏は、聴衆の身体全体に響きました。やがて、芸能祭の幕は静かにおりました。

 私たちはこの価値ある遺跡「肥前国庁跡」を受け継いでいます。この財産をふるさとの誇りとし、宝として守り後世に伝えていく義務があります。
そして、この財産を地域の活性化につなげるような活用もまた図っていくことが大切であると思ったところです。

 間もなく新しい年がやってきます。年の節目に当たり肥前国庁跡を訪れ、千年の時空を超えて静かに古代人に語りかけ、当時の人々の暮らしや思いを想像してみるのもいいものです。そして、今を生きる自らを見つめ、未来を想像するのもいいでしょう。

 

教育長 東島 正明

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