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佐賀市水道100周年(2016年12月5日)

更新:2018年01月 5日

 佐賀市の水道は大正5年の秋に全国初の「さく井式水道」として通水を始め同年11月25日に通水式が行われている。これから100年後の今年11月25日に100周年の記念の式典が行われた。

 このたびの式典で配布された記念誌には、100年前、市公会堂や閑叟公銅像園で華やかに行われた通水式典のことが記されていた。

 この記念誌によると、大正5年度末の給水戸数は2343戸であり、それまで投入された事業費が当時の市の一般会計4~5年分に匹敵する50万円にもおよんだという。

 一般会計4~5年分という投入事業費だけを見ても、その水道事業がどれだけ大きかったかが推測できるし、毎年赤痢、コレラ、腸チフスなど水系伝染病に脅かされていた市民からの水道普及に対する要望の大きさも想像できる。

 資料によると大正2年当時の佐賀市(神野町も入らない旧・旧佐賀市)の世帯数は5633戸。そのうち井戸水使用が1059戸、販売水使用が378戸、川の水使用が4196戸である。市民の約4分の3は川の水を飲料水など生活用水として利用していた。

 「不衛生な水環境からの脱出」という大命題を掲げた水道事業も当時すんなりとは進んでいない。

 本市の水道計画は旧佐賀市が誕生した直後の明治24年に始まったとされているが、当時は機運が盛り上がらず、その後の計画にも反対運動があったという。

 衛生的な水環境だけでなく文化的な生活様式への一大転換など、水道の功績は大きいと考えるが、今では想像できない明治時代の価値観であったようだ。

 

 水道のなかった時代に子ども時代を過ごした私だが、水道と始めて接したときの喜びは忘れられない。

 昭和20年代のことである。我家は本庄町の北西部,佐賀大学の西の辺りで、井戸もあったが生活用水はほとんどが多布施川から分岐した「ちやのき川」の水であった。

 川の流れは美しく、早朝、川から汲んだ水を「はんず瓶」に溜め、ひしゃくで汲んで炊事用として使っていた。小さいころから集落内の川岸で小用を足したりしたらひどく怒られていた。地域住民は川の水を大事にしていた。もちろん川掃除も大々的にやっていた。

 当時、我が家では風呂の水汲みは子どもの仕事に位置づけられていて、「たなじ」と言っていた川べりの水洗い場から風呂場までバケツの水を両手に下げて20回ほど往復していた。小学生にとってはつらい仕事であったからでしょう、か、水道が使えるようになったときは喜びましたね。

 衛生的な水が家のあっち、こっちでいつでも使える。このことを一番喜んだのは母であったろう。「水道って、よかねー」と家族で語り合ったのが懐かしく思い出された。

 この水道とその後に普及し始めたプロパンガスによって台所は大きく変わった。

 先人の苦労があって確立された水道事業を私たちは今後も大事に後世に引き継いでいかなければならない。

 これからも関係者一体となって、安全な水を安定的にそしてできるだけ安い価格で市民に届けて欲しいと願う。

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