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【教育長だより】日本の学校制度の変遷

更新:2015年12月18日

【明治及び大正、そして昭和の新学制開始間もない頃の学習教材】

明治及び大正、そして昭和の新学制間もない頃の学習教材

 

【明治時代の「小学国史 巻三」第十二課「憲法発布」の本文】

明治時代の「小学国史 巻三」第十二課「憲法発布」の本文

 

【裏表紙にある「明治三十四年一月十一日 文部省検定済」の印刷】

裏表紙にある「明治三十四年一月十一日 文部省検定済」の印刷

 

平成27年12月18日

毎年バルーンフェスタ期間中に催される「佐賀城下秋の骨董市」は、今年も10月30日(金)から11月1日(日)にかけて松原神社境内において開催されました。

私は、毎年休日に訪れては楽しんでいますが、今年は、興味深い古書に出会いました。

それは、我が国の学校教育制度の変遷を垣間見ることができる書籍であり3冊買い求めました。

 

日本の近代教育制度は、明治4年廃藩置県により文部省が設置され、初代文部卿には大木喬任、文部大輔には江藤新平が就きました。

翌年の明治5年には学制発布となり、全国の教育行政を文部省が統括するようになりました。

まさに、ふるさと佐賀県人によって日本の近代学校教育制度の夜明けを迎えたと言っても過言ではないでしょう。

そして、明治12年には、「教育令」を公布し、町村を基礎に小学校が設置され、明治14年には、「小学校教則綱領」が制定され、そこでは、教科の内容、時間数等を明記し、翌年から全国的に教育が統一化されたのでした。

その後、明治18年に内閣制度が創設され、初代文部大臣には、森有礼が就任し、いよいよ教育制度が確立していくことになります。

明治40年には、尋常小学校をこれまでの4年から6年へと延長し、義務教育年限が6年となりました。

一方、子どもの勉強に必要な教材もまた統一化されていきますが、教科書制度は、明治19年に教科書検定制度が創設され、さらに明治36年からは国定教科書制度となりました。

そして、数々の戦争を経て、戦後教育の改革、再建がなされることになりますが、昭和22年には「学校教育法」を制定し、義務教育年限を9年間とし教育の機会均等の実現と6・3・3制の単線型学校制度が確立しました。

同年には学習指導要領も発表され、教科書もこれまでの国定教科書から検定制度となったのです。

これにより、新制小中学校は昭和22年に発足し、新制中学校については学年進行により昭和24年に完成し今日の日本の学校教育の基盤が整っていったのでした。

(参考文献;我が国の学校教育制度の歴史について 国立教育政策研究所)

私が入手した書籍は、その当時の児童生徒が学習用教材として使用していた教科書で、以下の3冊です。

  • 明治34年1月11日 文部省検定済「小学国史 巻三」(定価;弐拾銭)
  • 大正元年9月9日 文部省検査済「尋常小学 算術書 第五学年 児童用」(定価;六銭)
  • 昭和22年11月17日 文部省検査済「中等文法 文語」(定価;七円九十銭)

いずれも、明治維新後の近代学校教育制度の創始期から確立期を経て、今日の学校教育の礎となる教育制度の創設期に出版された教科書です。

その当時の子どもたちは、これらの教科書でいったいどのようなことを学んでいたのでしょうか。

 

(1) 「小学国史 巻三」(明治34年1月11日 文部省検定済)

明治期の子どもたちが学ぶ日本の歴史とは、どのような内容だったのでしょう。

この教科書は、第一課 「徳川家康の覇業」に始まり、第七課「米艦渡来」・・・第九課「大政奉還」・・・第十二課「憲法発布」・・・といった学習内容があり第十三課から成っています。

その中から、第十二課「憲法発布」の学習内容を見てみましょう。(旧漢字は現在の常用漢字に改めています)

第十二課 憲法発布

王政維新の後、益、外国との交際を厚くし、しきりに、欧米の文物を輸入し、彼の長を採り、我が短を補ひ、以って之を参酌実施せり。

先、兵制を改め、徴兵令を頒布し、国民一般に、兵役に就かしめて、武門、武士専横の積弊を一掃し、又、田制を改めて、租税の法を一定したり。

其の他、警察・郵便・電信の事業に於ける、其の効用の著明なるは、一般人民の嘆称、止まらざる所なり。

又、官制に、法律に、教育に、財務に、一として、改良進歩せざるものなく、或は、鉄道・汽船を利用して、運輸の利を興し、或は、道路を修めて、交通の便を図り、或は、博覧会を設け、勧業会を開き、或は、銀行・会社を保護し、或は、採鉱・牧畜・養蚕・製茶・水産・墾田等の民業を奨励する等、文明の化を普及せしこと少なからず。

殊に活版・印刷・新聞・雑誌の如きは、其の進歩の、頗、迅速なるものなり。

かく百般の事、すべて改良進歩せざることなきが中にも、明治二十二年二月十一日の紀元節に、帝国憲法を発布し給えるは、実に、千古未曾有の盛事にして衆庶聖旨を感戴し、歓呼の声、都ひに満てり。

抑、憲法は、天皇の大権を明にし、臣民の権利義務、帝国議会、国務大臣の職務等を、規定したものにて、国家の政治法律の基本となるべき大典なり。

憲法発布の翌年、貴族院・衆議院の議員を東京に召集し、天皇親臨して、開院の式を行い給ふ。是に於て、立憲政治の実、始めて挙りぬ。

 

明治維新後の日本政府は、国づくりのために当時の国内外の社会情勢をしっかりと見極め、積極的に諸外国の進んだ国家制度や科学技術、産業等に学び、数々の改革を行っていることがわかります。

そして初の憲法発布により日本の礎が着々と築かれてきていることを、子どもたちは実感しながら嬉々として学んでいたことを想像するのです。

 

(2) 「尋常小学 算術書 第五学年 児童用 文部省」(大正元年9月9日 文部省検査済)

この教科書は、表紙が黒かったために「黒表紙本(教科書)」と呼ばれていましたが、大正期の子どもたちが学ぶ算術の学習内容とは、どのようなものだったのでしょう。

この教科書の目録(目次)を見ますと、「I 整数及び少数」「II 諸等数」「III 諸等数」「附録」の全97ページからなっています。

「I」では、加減法、乗除法、長さ、面積等に加えて枡目、目方、貨幣を学び、「II」では、里程や地積等を、「III」では、メートル法とともに外国度量衡と日本の尺貫法を学んでいます。

当時の子どもたちが学習していた問題の例としては

  • 軍艦鹿島の長さは129.5米にして、幅は23.6米なりと、その長さ及び幅は各何間何尺なるか。
  • 1リットルは約5.5435合に当たることを算出せよ。
  • 底辺30米高さ9.8米の三角形と、底辺34米高さ8.5米の平行四辺形と、直径20米の円とあり、此の三つの面積を合計すれば何程となるか。
  • 12吋砲と33サンチ砲とは其の口径に何分何厘の差があるか。

当時は日本の尺貫法度量衡と外国度量衡、その換算とともに世界共通のメートル法が存在し、度量衡の混在は、子どもたちにとってややこしい学習ではなかったでしょうか。

しかも、戦争関連の素材も多く、当時の時代背景を推し量ることができます。

 

現在の日本の優れた学校教育制度は、このように幾多の変遷を経て、日本に最も合った制度となりました。

しかしながら、急速に変貌する社会とともに子どもたちの実態も変化し、教育課題は多様化・複雑化し、それに合わせて学校制度もまた改革されてきています。

学習指導要領もまた改訂されながら今日の学校教育が営まれているところです。

 

市内の小中学校に学ぶ子どもたちには、一人ひとりが学ぶ意義をつかみ目標を持って学校生活を送り、将来に向かって夢を育むような学校教育活動にしたいと考えるところです。

この時期、子どもたちは2学期の学習や生活のまとめに入っていることでしょう。

自分の成長や課題等を子ども自らが自覚して3学期に備えて欲しいものです。

 

間もなく2015年も終わり新しい年を迎えます。

市民のみなさんには、佐賀市教育にご支援・ご協力いただきましたことに感謝申し上げます。

どうか平安な新年をお迎えいただき、良き一年となりますように祈念します。

 

教育長 東島 正明

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