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無関心を装う(2015年12月2日)

更新:2017年03月 9日

 先月下旬の西日本新聞に「安心して善行?高齢者救助保険」との見出しで、道徳心を問う、次のような記事が出ていた。

 

 『中国で近年、路上に倒れていた高齢者を善意で助けた第三者が逆に訴えられるケースが相次いでいる。加害者だと勘違いされるケースのほか、治療費欲しさに「この人に突き飛ばされた」とうそをつく高齢者もいるという。そこで、「加害者」にされた人の訴訟費用を賄う保険が売り出され、議論を呼んでいる。』

 

 また、記事では、転倒した高齢者を見つけた場合の行動を聞いた中国紙の世論調査(複数回答)が載せてあり、8割以上が「助けるかどうか迷う」、5割の人が「助けない」と回答したそうだ。

 背景として、医療保険制度の不備や貧困が挙げられていたが、論語の国、中国の「道徳心の低下」なのかと私は残念に思った。

 善行が仇となり、加害者扱いにされるとはなんと侘しい国なのか。

 

 4年ほど前にも、私はこのコラムで、中国人の「無関心さを装う」姿を取り上げた。それは、ひき逃げされ負傷した子どもの姿を横目に見ながら手を差し伸べるのではなく、無関心を装い、足早に通り過ぎる中国広東省の人たちの姿であった。

 ひき逃げされたその子は後続の車にも轢かれ、19人目の通行人であった清掃婦らしきおばさんにやっと助け起こされたという事件であった。子どもはその後亡くなった。

 このニュースを私はNHKで見た。ひき逃げした犯人はもちろんだが、負傷した子どもに手を差し伸べない通行人も同罪で人間失格だという思いでそのコラムを書いた。

 

 GDPで世界第2位に成長した中国だが、4年前に中国人ガイドから聞いた「なまじ人を助けると加害者扱いにされることもある。」という中国人の処世訓は変わっていないようだ。

 

 このような処世訓があるが故に無関心を装う中国の人たちだが、同じ「無関心を装う」という視点で私の周りを見ると、「無関心」の質はかなり違うものの気になることがある。

 先日、熊本出張から帰るときのことである。新鳥栖駅で長崎行きの特急列車の自由席に乗り換えた。通路に立っている人がいたので、空席はないものと半ばあきらめかけながらも車内をよく見ると、荷物だけが陣取っている席がいくつか目に入った。

 私は、通路に立っている人を掻き分けて荷物が陣取っている席に行き、荷物の持ち主と思われる中年紳士に「すみません、ここ空いていますか?」とたずねた。すると、その人はしぶしぶ荷物を自分のひざの上に置き、席を空けた。斜め前にもそんな席があった。

 

 このような光景は、最近、珍しいことではない。

 無関心を装うこの中年紳士を隣にして私は佐賀に着くまで考えた。

 車内が混み始めたならば、自分の荷物ぐらいは整理して「どうぞ」と席を勧めるぐらいの人でありたいものだ。

 また、立っている人に対しては、素直に「すみませんが」と荷物の整理を促すぐらいの勇気を出して欲しいものだと・・・

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