判官 島 義勇(2014年5月8日)

更新:2017年03月 9日

判官 島 義勇

先月13日、札幌市のホテルで開催された「開拓判官・島義勇顕彰の集い」に出席した。

顕彰会事務局から案内を受け、佐賀からは佐賀市議会黒田議長や佐賀県牟田副知事、佐賀大学杉谷名誉教授なども参加された。

明治7年の「佐賀の役」で非業の死を遂げた島義勇だが、命日の4月13日には毎年顕彰祭が実施されている。

今年は没後140年の節目の年として、その功績を顕彰する集いとなった。

「佐賀の役」では、島義勇と同じように江藤新平ほか、多数の同志が無念の死を遂げている。

その方々の霊を敬い慰めるため、佐賀では毎年、「慰霊祭」が丁重に実施されている。例年4月13日だが、今年は12日に行われた。

私たちのいる佐賀にあっては、「佐賀の役」と言えば、名前が一番先に出てくるのは江藤新平だと思うが、江藤にあっては神野公園に銅像が建ち、毎年4月14日には「銅像まつり」で顕彰され、その功績もよく知られている。

この江藤新平に比べると、同じ佐賀の七賢人ではありながら島義勇の認知度はやや低いように思われる。

みなさんご承知のとおり、島義勇は札幌では「北海道開拓の父」として称えられ、開拓使の初代長官であった鍋島直正とともに北海道神宮境内にある開拓神社に祀られている。

島の非業の死を悼んで、島判官の義理堅い従者により150本のさくらが献本され、今日では北海道神宮の桜の名所となっている。

札幌市議会事務局発行「札幌市の概要」には、札幌市の歩みの中に次のように書かれている。

明治に入り、政府は蝦夷を北海道と改称し開拓使を設置して本格的な開拓を進めることになりました。明治2年には、札幌に、北海道開拓の拠点として本府を置くことが決定し、開拓使判官島義勇が札幌本府の建設に着手しました。

道幅約100メートルの大通りを設けた壮大なまちづくりであった。

資金面での異論があって、島は3か月ほどで退任させられるが、その計画は受け継がれて、人口190万、政令都市・札幌のまちの基礎となった。

自分が生まれ育ったところで称えられる偉人は多いが、赴任地で、しかも短い期間の功績を140年もの長きにわたって称えられる偉人は、少ないのではないか。

そういう意味で、島義勇は偉人中の偉人と言ってよいだろう。

今回の「集い」をとおして、札幌のみなさんの先人を敬う気持ちの強さを感じるとともにそんな偉人を佐賀が輩出していたことに誇りを感じた。

私は佐賀に帰ってから、早速、金立町来迎寺の島義勇の墓前に今回の札幌のことを報告した。

佐賀のみなさん、札幌を訪問された時には、ぜひ札幌市役所または北海道神宮に建つ島義勇の銅像の前にたたずんでみてください。

きっとその偉大さが伝わってくることでしょう。

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