子育て応援コラム「アタッチメント」 No.18 令和6年8月号
先月7月号のコラムは、「アタッチメント」や「子どもの発達段階」を理解する手がかりになればいいなと、ジブリの映画「となりのトトロ」のいくつかのシーンを紹介しました。せっかくなので、今月も続きを書いてみようと思います。
サツキとメイとお父さんとで、七国山病院にお母さんのお見舞いに行くシーンがあります。3人が引越ししてきたのも、大切なお母さんの病気が良くなるための選択だったのです。お母さんが心配しないようにという心持ちで、新しい生活を明るくスタートさせてきた家族。どんなにお母さんに会いたかったでしょうか。どれほどお母さんに会えて嬉しかったでしょうか。「お母さん、お化け好き?」と尋ねる子どもたちに、「もちろんよ。早くお化けに会いたいわ」と答えるお母さん。待ち侘びた面会がようやく果たせた喜びを観ている私たちも共有した場面でした。
3人が病院の帰り道に交わす会話の中に、メイの「お母さん、メイと一緒に寝たいんだって」というセリフがあります。「私、お母さんと早く一緒にお布団で寝たいよ〜」と言わずに、そう言います。切ないですね。「お母さんがいなくて、寂しいよ。早く帰ってきてほしいよ。」という言葉を口にした途端、必死に保ってきた心のバランスが崩れるかもしれません。そうなるところを、ぎりぎりで保っている健気さ。もちろん、お母さんが実際にそう言ったのでしょうが、自分がそう願っているのではなく、お母さんがそう願っていると話すのです。
この心のカラクリは、普段の子どもたちの言葉にも見つけることができそうです。大人が、その子自身の言動や気持ちだと見切っている事も、子ども自身が、「先生が、お母さんが、お兄ちゃんが、お友達が、そうした。そう言った。そう思っている。」という言い方をすることがあります。自分の心を守る手段の一つで、自分の行為や感情を相手に投影させてしまうのです。例えば、「〇〇ちゃんが悪い。ごめんなさいって謝れ。」、「お姉ちゃんがお菓子を欲しがったから」と言い訳か嘘に聞こえるような言葉を吐いた時、素直にごめんなさいと謝れない、自分がお菓子を欲しいと言えない気持ちを本人も意識できずにいるのかもしれません。
そんな態度を見ると、保護者も保育者も育てる責任を感じるが故に、「嘘を平気でつくような子どもにしたくない。本当のことを言わせなきゃ」と、正直さや合理的説明を子どもに強く求めたくなるでしょう。そんな時、待てよ、サツキとメイのお父さんやお母さんだったらどう返すだろうと心に浮かべてみると、子どもを追い詰める展開にはなりにくいかもしれません。
そして、単純にお母さんに会えて嬉しかったではすまない、裏腹な心情が生まれることもあるようです。非常に楽しみにしていたお母さんとの面会が終わった後に、次の面会まで会えない、お母さんの不在の日々が始まるという、忍び寄る寂しさ、虚無感。祭りの後の寂しい気持ちというのでしょうか。ついつい、私たちは、苦しくて辛い現実に直面している最中に心の危機が訪れると思いがちですが、その辛さを耐え忍び、何かホッと安心できた後に、時間差で均衡が崩れ、SOSが表面化してしまうこともありえます。
となりのトトロの物語を思い出してください。サツキもメイも、ずっと抑えていた母親恋しさが面会後に膨らんだのかもしれません。母親退院延期の電報を受け取ったサツキが泣き崩れ、その姿を見たメイが「トウモコロシ」をお母さんに届けようとして行方不明騒ぎへと発展していく流れになっていきます。人生、良いとみなしたことが必ずしも次の良い展開に結びつくわけでもなく、悪いとみなしたことが必ずしも次の悪い展開に繋がるわけでもありません。幸せと思ったことが寂しさを、辛いと思ったことが喜びをつれてくることもありますね。多くの相談をお聴きして実感していることです。
長くなりますが、あと一つの場面のことも書き足しておきたいです。真夜中にぐんぐんと巨きくなる樹の周りをトトロと姉妹が回っている時、そして大きなコマに乗って空を飛んでいる時、その庭で何が起こっているかを知らないまま、書斎で仕事をするお父さんの姿が描き出されます。他の場面では、子どもの心に寄り添ってくれる素敵なお父さんです。
さりげない描写ですが、どんなに保護者が子どもを大切に守ろうと思っていても、子どもの世界の全ては見張れないことを感じる場面でした。子どもには大人には干渉できない、子どもだけの豊かな世界があることを、その余白を、その権利を大人が奪ってはいけないことに改めて気付かされるのです。だからこそ、気づかなかった子どもの育ちにハッとする瞬間が、子どもに関わる大人たちにプレゼントされるのでしょう。
こども・子育て支援専門アドバイザー 田口香津子