子育て応援コラム「アタッチメント」No.17 令和6年7月号
ジブリの映画「となりのトトロ」は、1988年に公開されました。なんと、36年前になるのですね。この映画を題材にしてお話しさせていただく機会がありますが、大抵の方は、一度ならず映画を観たことがあると言われます。この映画は、トトロやネコバスとの出会いを描いたファンタジー作品とも言えますが、実は、病気のお母さんと離れて新しい環境に身を置く子どもたちの心情をたどる、切ない物語でもあります。
4歳のメイと小学6年生のサツキが、考古学の学者である父と一緒に田舎に引っ越すシーンから始まります。引っ越し先は、まるでお化け屋敷。家の中に、どんぐりが落ちていたり、ゾワゾワっと動く黒いもの(まっくろくろすけとお父さんは言い、家を管理しているお隣の家の祖母はススワタリと言います)を見つけたりします。
サツキが新しい学校に行き始め、お父さんが書斎で仕事をしている間、メイは「お父さんはお花屋さんね」と呟きながら、庭でひとり遊びをしています。そんな時、小さなトトロと目が合います。そのトトロを追いかけた先の大きな木の根元のほこらにて、メイは大きなトトロと出逢います。一見すると、無邪気で好奇心旺盛なメイがみせるワクワクするような展開なのです。が、姉は学校、父は仕事に向かう中、健気に一人遊びをしているメイの、自分自身も自覚しきれていない、寂しさの極みに、トトロは姿を表します。
サツキも大きなトトロと出会うシーンがあります。誰もいない暗闇のバス停で、雨の中、傘を差し、眠ってしまったメイをおんぶしたまま、父を待つサツキ。ですが、バスから父は降りてきません。暗闇と雨と背中の妹、もうすぐ父と会えると踏ん張っていたサツキの失望感、不安感。そんな時にトトロが横に立っています。トトロがジャンプすると、木の葉に溜まっていた滴がザザーっと落ちて、傘に当たる場面は、クスッと笑えます。
宮崎駿さんのインタビュー記事を読むと、最初一人の女の子を主人公にしていたけれど、トトロと出会うこの二つのシーンのどちらも捨てがたく、サツキとメイという姉妹に設定を変えたということです。
この二つのシーン。どちらも、子ども自身が不安な思いを抱く状況下でトトロと出逢っていることに気づきます。4歳のメイはお腹の上に乗り、サツキは隣に並んでお土産を受け取ります。4歳は、迷わずスキンシップを求めますが、小学6年生は距離を持った立ち位置にいます。8歳年下の妹の、臨時のお母さん役までしているサツキです。入院しているお母さんのお見舞いに行った時も、メイはお母さんに飛びつきますが、サツキは、後からお母さんに髪を梳いてもらって嬉しさを表します。妹が母に甘えた後で、そっと甘えるお姉さん。
ところが、真夜中の庭でトトロと出会ったサツキは、病室でお母さんに飛びついていけなかった自分を振り捨てるように、メイと同じ様に、トトロに飛びついていき、空飛ぶトトロと歓喜のひと時を過ごします。「夢だけど、夢じゃなかった」と二人で唱和する言葉は、4歳のメイと小学6年生のサツキが、きょうだい役割や実年齢の枠を超えて、等しく「満たされた子ども」となっていたことを実感させてくれます。良かったね、サツキ。
トトロって一体なんなのでしょう。お父さんもカンタのおばあちゃんも、子どもの心に寄り添う素敵な大人。けれど、姉妹にとって、大好きなお母さんの、いつまで続くかわからない不在の時間(サツキからすれば、母が死ぬかもしれないという喪失の予期不安)を完全に埋めることは難しいのでしょう。現実の子どもたちの中にも、空想のお友達がいてくれることで乗り越えていける様な、危機的場面もあります。大きな危機に見舞われずとも、安心できる特定の大人とくっつくことが出来ない時に、多くの子どもたちは、お気に入りのぬいぐるみだったり、キャラクターの毛布だったり、絵本だったり、「トトロ」のように自分のそばにいてくれることで安心する何かを見つけているのではないでしょうか。
人が育つのに、安心感はとても大事なこと。しかし、子どもの心を満たし続ける環境を私たち大人は完全保証できません。そんな時に子どもたちを支えてくれるファンタジーの世界があることを改めて愛おしく、頼もしく思います。全てのものに命が宿っているというアニミズムの世界とも言えるでしょうか。
この映画が「アタッチメント」や「子どもの発達段階」を理解する手がかりになると思って紹介しました。せっかくなので、来月も続けて、トトロの映画を題材に読み解いてみたいと思います。
こども・子育て支援専門アドバイザー 田口香津子