古湯温泉は、佐賀駅の北方20km、標高200mの山峡にあって、昭和41年7月、厚生省から、「古湯・熊の川温泉郷」として、国民保養温泉地の指定を受けています。
泉歴も古く、画家青木繁やアララギ派の総帥として、日本歌壇の最高峰といわれた歌人の齋藤茂吉ら諸先生の曽遊の地として知られている。
「古湯の出湯のいわれ書」という古文書によると、人皇7代孝霊天皇の72年、中国の「徐福」が、秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の霊薬を求めて、佐賀郡諸富町寺井津浮盃に上陸し、金立山に辿り着き、北山の翁として、浮世を忘れて暮しているうち、或る日、「湯の神」が現われ、翁にむかって「この山中の西北あたりに、黄金の霊が湯となって湧出するところがある。必ず行ってその源をうがち、これを広めて多くの人を救われよ。」と告げて雨雲をかきわけて消え去った。
やがて、翁は春草の山道を踏みこえて谷川のほとりにたどり着き、緑の苔むす岩間から油のように湯が湧き出ずるのに行き当った。翁はこれこそ神のおひき合せだと大いに歓び、そのほとりに、ささやかな庵を建て「湯守り」となった。以来、幾多の荒廃、再興を繰り返しながら、古湯権現山の実相法師らにより守られてきたそうであるが元禄の大地震で城山が崩れて、温泉が塞がってから88年を経て、寛政3年(1791年)の春、古湯村の住人稲口三右衛門が、小田の水道に鶴が脛を浴して数日の間に、傷が癒えて飛び去ったのをみて、不思議に思い、指を入れて水を試したところ、少し温かったので、鍬を携えて再び水道に来て、辺りを掘ったところ、その中から古い松角1個が出てきた。この松角は、往昔、浴室を修繕した木材であったから、たちまち温泉が湧き出てきた。そこで、稲口三右衛門は、清存法師と相謀り、村人と協力して浴室を再興した。この温泉を「鶴の湯」と呼び、後に「鶴霊温泉」と称した
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また、勅使の座主、川上実相院の高僧英竜僧正が創堀した温泉が「英竜泉」で、現在、古湯温泉センタ ーに掲げてある偏額「英竜泉」は、同僧正の真筆であり、センターの前庭に祀ってある「薬師如来」も英竜僧正の勧請によるものである。
古湯権現山には「徐福」を湯の神として祀る木像が、また鶴霊泉、英竜泉の湯元にも、それぞれ再興に貢献した人の像が「湯の神」として祀られている。
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